ヨハネによる福音書

4月のこのニュースレターではマタイ、マルコ、ルカの共観福音書についてお話ししましたが、今日は4つ目の福音書、ヨハネ伝(ヨハネによる福音書)について考えてみます。共観福音書は主イエスの宣教の働きについて多くを語っているのですが、このヨハネ伝は主イエスと神との関係、つまり神の子としての主イエス、そしてその言葉と業に現れる「愛」を伝えることに重きを置いています。この福音書が「初めに言があった。言は神と共にあった。」という有名な一節で始まっている事も、その裏付けと言えるかもしれません。
著者とされるヨハネという名前はヘブライ語「ヨハナン」が語源となり、その意味は「主は恵み深い」という意味だそうです。ところが聖書にはヨハネと呼ばれる人物が多く登場します。まずバプテスマのヨハネ、十二使徒の一人であるヨハネ、そして使徒言行録13章に出て来るバルナバとサウロの助手ヨハネなどです。因みにこの助手ヨハネはマルコによる福音書のマルコであるとも言われています。更には使徒ペテロ(シモン)の父親もヨハネでした。勿論これらのヨハネは全て別々の人物で血縁関係もないと思われます。
ではこのヨハネ伝の著者は誰か、という事ですが、この福音書の最後の章にある「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネである、というのが通説です。ただ、これに異論を唱える人も居り、その根拠は、本文中にその愛弟子がヨハネであるとは書かれていない、また使徒ヨハネの名前も一度も出てこない、という事であり、分かっているのは最後の晩餐を共にした弟子のうちの一人で、復活後に主イエスが現れた7人の弟子の一人である、という事だけという事のようです。それを受けてか、かつて一世を風靡した「ダ・ヴィンチコード」では、この「イエスが愛された弟子」はマグダラのマリアである、という仮説まで紹介していますね。
一方で、ヨハネは十二使徒のなかで最も若く、主イエスが十字架で死を迎えた時、母マリアを託した弟子でもありました。つまりヨハネは主イエスが最も信頼していた人物であることが窺えます。でも大切なことは、この福音書の著者が誰か、という事ではなく、この福音書が私たちに何を語りかけているのか、という事でしょう。
そう思って読んでみると、ヨハネ伝ではまずバプテスマのヨハネが登場し、そこに成人した主イエスが突然現れます。つまり降誕も幼年期も無視です。また、サタンやその誘惑、山上の垂訓、倫理的な教えなどは殆ど見られません。勿論主イエスの宣教の働きや十字架、そして復活についての詳細な記述はありますが、そこでの主眼は、そうした業を通して、主イエスが何を私たちに与えようとされたか、という事であるように思えます。ヨハネ伝の3章にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という言葉は、聖書から最も多く引用されていると言われています。そしてここにこそ、ヨハネのメッセージがあるのではないでしょうか。
ここで、日語フェローシップからのお報せです。8月25日(日)10時から、日語礼拝をチャペルで守ります。メッセージは、かつてシカモア教会の牧師をされ、現在日本基督教団明石教会の牧師をされている石田求先生が担ってくださいます。是非ご出席ください。
(塚本 旨)
著者とされるヨハネという名前はヘブライ語「ヨハナン」が語源となり、その意味は「主は恵み深い」という意味だそうです。ところが聖書にはヨハネと呼ばれる人物が多く登場します。まずバプテスマのヨハネ、十二使徒の一人であるヨハネ、そして使徒言行録13章に出て来るバルナバとサウロの助手ヨハネなどです。因みにこの助手ヨハネはマルコによる福音書のマルコであるとも言われています。更には使徒ペテロ(シモン)の父親もヨハネでした。勿論これらのヨハネは全て別々の人物で血縁関係もないと思われます。
ではこのヨハネ伝の著者は誰か、という事ですが、この福音書の最後の章にある「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネである、というのが通説です。ただ、これに異論を唱える人も居り、その根拠は、本文中にその愛弟子がヨハネであるとは書かれていない、また使徒ヨハネの名前も一度も出てこない、という事であり、分かっているのは最後の晩餐を共にした弟子のうちの一人で、復活後に主イエスが現れた7人の弟子の一人である、という事だけという事のようです。それを受けてか、かつて一世を風靡した「ダ・ヴィンチコード」では、この「イエスが愛された弟子」はマグダラのマリアである、という仮説まで紹介していますね。
一方で、ヨハネは十二使徒のなかで最も若く、主イエスが十字架で死を迎えた時、母マリアを託した弟子でもありました。つまりヨハネは主イエスが最も信頼していた人物であることが窺えます。でも大切なことは、この福音書の著者が誰か、という事ではなく、この福音書が私たちに何を語りかけているのか、という事でしょう。
そう思って読んでみると、ヨハネ伝ではまずバプテスマのヨハネが登場し、そこに成人した主イエスが突然現れます。つまり降誕も幼年期も無視です。また、サタンやその誘惑、山上の垂訓、倫理的な教えなどは殆ど見られません。勿論主イエスの宣教の働きや十字架、そして復活についての詳細な記述はありますが、そこでの主眼は、そうした業を通して、主イエスが何を私たちに与えようとされたか、という事であるように思えます。ヨハネ伝の3章にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という言葉は、聖書から最も多く引用されていると言われています。そしてここにこそ、ヨハネのメッセージがあるのではないでしょうか。
ここで、日語フェローシップからのお報せです。8月25日(日)10時から、日語礼拝をチャペルで守ります。メッセージは、かつてシカモア教会の牧師をされ、現在日本基督教団明石教会の牧師をされている石田求先生が担ってくださいます。是非ご出席ください。
(塚本 旨)
Posted in Newsletter 2024-08-22
