2019年 4月21日「キリストは生きておられる」 イースター礼拝

 4月21日 イースター礼拝説教要旨
「キリストは生きておられる」山本一牧師
ルカによる福音書24章1-12節


●興味深い事に今や日本でも、多くの人がイースターをお祝いをしています。いくつかのスーパーなどの広告を見ると共通しているキャッチコピーは「春の訪れを祝う」という言葉です。しかし、キリストの復活ということにはそれにも増して大きな喜びがあるのです。


●キリストの復活を喜ぶという事、それは「あのイエスさまが今も私たち一人一人と共に生きておられる」という実感を持つということです。仏教では「同行二人」という言葉があり、四国のお遍路(巡礼の旅)に弘法大師が一緒にいてくださる、また大師の思いと一つになって心を豊かにされて旅をしていくという信仰を表す言葉です。まさにキリストはそのような形で生きておられると感じるのです。


●キリストの復活という事自体はとても信じがたい事柄です。しかし、それは聖書の時代の人々も同じでした。復活の朝、遺体に香料を塗りに出かけた婦人達が墓が空なのを見つけ、そこで二人御使いによって主イエスが復活されたことを告げられます。しかし婦人達は信じられず、ただイエス様の言葉を「思い出した」とだけ記されています。またその婦人達がこの出来事を弟子たちに伝えた時「皆その話がたわ言のように思い、婦人達を信じなかった」、とはっきりと伝えています。
それは今を生きる私たちの状況と同じです。聖書にあるイエスの復活も他の希望の言葉も私たちは簡単には信じることができません。しかしそれでいいのだと告げているのです。
天の御使いであろうと思われる二人は告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。この言葉は、今生きている日常の只中に、復活のイエス様がおられる、という宣言です。
その言葉の通りに人々は、疑いつつも希望の言葉を胸に秘め歩む中で、何か特別な場所ではない普段の生活の中、不安や苦しみ、悩みを抱えるその只中で復活のイエスと出会い、主が共に生きておられるという事に目が開かれていくのです。そして、この言葉は今の私達にも告げられた神の言葉でもあるのです。 

●私は昨日まで突然の体調不良のため休暇を頂いていました。原因不明の心身の苦しみに加え、私にとって最も大きな苦しみは、スピリチュアルペイン(霊的な苦しみ)で、神様・イエス様が共にいて、愛しておられると思えないという事でした。なぜこんな状況にと一人で空を見上げては考えていました。今イエス様が目の前に現れてどうして声をかけてくださらないのかと問い続けていました。
そうしてしばらくして、日本では母が原因不明の圧迫骨折をし長期入院になるという知らせを受けました。そこで日本に帰る事にしました。私も両親も希望が見えないような状況でしたが、日曜日に母の病室で共に小さな礼拝を持つことにしました。日本は丁度桜が満開の時でしたが、私達家族は冬の真っ只中という状況でした。母も共に雪深い新潟で生活しましたが、その厳しい新潟の冬を思い起こしつつ、また私達にも春が来ることを祈りました。痛みで集中力もない母でしたが、涙を流して言いました「神様は生きておられるなぁ、アメリカから息子が帰って来てこんな場所で礼拝できるなんて」。その言葉を聞き、私もこの苦しみ弱っている私達とイエス様がいてくださるという事を感じる事ができたのです。未だ、母も私も完全とは言えません。けれどもその小さな礼拝で感じる事のできた「イエス様は共にいてくださる」という思いは、何にも代えがたい私たちの力となりました。


●「足跡」という誌があります。これは今の私に与えられた詩だと感じます。それは苦しみの時にイエスさまが私を見捨てたのではなく、背負って歩いてくださっている、ということを思い起こさせてくれる詩でした。
 イースター、キリストの復活の出来事、その喜びは、復活されたイエス様が、私達の理解を超えた姿でいつも共にいてくださるという事です。しかし、苦難の中にあって私達はなかなかそれを信じることができません。しかし、それでも誰かと共に祈る時に、私達は決して私達を見捨てないキリストに出会うのです。このイースターの朝、また共にここアメリカでその歩みを続けることのできる恵みと喜びに本当に感謝いたします。

「足跡」

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね
した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道にお
いて私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。
「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」