2019年 3月10日「神を信じ忍耐して」 主日礼拝

「神を信じ忍耐して」 山本一牧師

ルカによる福音書4章1-13節

●「人生、思い通りにならない」と感じる事の多い私にある牧師が次の言葉をくださいました。
「思い通りに行かぬことばかり。思い通りになら なくてよかった。思い通りになっていたら大変 だった。 神様の御心が一番」
そして「行き詰まりと、失敗ばかりの人生だが、そのつど、神様の方に目を向けられてきた」とその牧師は話してくださいました。思い通りに行かないその事を通してこそ本当の意味で神を知るのだと教えてくださったのです。
●本日受難節第一節に与えられた聖書は、イエス様を悪魔が誘惑したという箇所です。
「悪魔」がイエス様を3度誘惑しますが、その内容は「神の子なら石をパンに変えてみてはどうか」。そして次に「もし私に跪くなら、この国の一切の権力と繁栄を与えよう」。そして、最後に、「神殿の屋根から飛び下りて見よ。神が助けてくれるはずだから」。というものでした。 
もしもそのような力が与えられたら、恐らく人生全て思い通りに事が運び、ストレスも無く、苦しまなくてすむというような内容です。しかし、聖書はそれらすべての事が「悪魔」の誘いなんだと告げているのです。そして、イエス様はそれを退けられたのです。
この話は、何でもすぐに思い通りになる人はこの世にはいないという事、そして、そこに必ずしも、神のみ心や神の恵みがあるわけでは無いという事を教えているのです。そして何よりも大切なメッセージは、そのように、不自由さや限界、不安や困難を避けられない私たち人間と共に忍耐強く生きる決意をイエス様がされたのだということです。実際に、イエス様は身をもってその十字架の死にいたるまで思い通りにならない人生を生きられ、同時に父なる神に希望を置き、父なる神のみ旨を信じて歩み抜く事を示されたのです。
今日の箇所の最後に「誘惑する悪魔は離れ去った」とありますが、悪魔は後に戻って来ます。それはイエス様が十字架につかれる前、ゲツセマネというところで祈っていた時です。

イエス様に十字架の死が迫ってきました。逃げ出す事もできたでしょう。しかし祈りの果に裏切り者のユダが向かってきた時、イエス様はここにも神のみ旨があるに違いないと立ち上がり、その運命へと向かっていかれたのです。このイエスさまの姿は「自分の望む道が開かれない事はある、けれども、信じて歩むなら、そこに必ず神の「御旨」がある。だから共に忍耐して歩みましょう」という励ましのメッセージを伝えているのです。そして復活という出来事によって、そのことを立証されたのです。
私たちの思い通りにならない歩み、そこにイエス様が共におられ、そこに深い恵みがある事を聖書は証しているのです。
●来週日本に本帰国される石井さんご家族との交わりを思う時にも、苦労の多い異国の地で助け合い祈り合う素晴らしい時が与えられました。深い感謝や決して忘れる事のない心温まるような思い出といった何にも代えがたい恵みは、すぐに解決されない問題や困難な課題がある只中で、助け合い祈り合う事を通して神様から備えられたのだと感じるのです。思い通りにならない時「神はいない」のではなく、思い通りにならない時、人を通して、神を、キリストを知る事ができる、それが「信仰者の交わり」教会の素晴らしさです。
●私は「教会」を思う時に、日本のある土地を思い起こします。日本の屋久島です。
日本の屋久島で数千年生きている屋久杉は、置かれた厳しい環境の故、他の木々と繋がりゆっくりと成長し、丈夫な木とされます。人もまた様々な環境的制約や人間の限界、弱さを持っています。しかし、そのような中で共に忍耐し、神に希望を持って育まれる命は、美しく、また強くされるのだと信じたいのです。ご帰国される石井さんご家族の歩みがそのような神にあって豊かに成熟される歩みとなりますように。また、これまで100年以上もこの土地で生き抜いてきた日語部は、ゆっくりかもしれませんが、これからも成長し、人に希望を示し続ける素晴らしい群れとなっていく事を信じています。共に忍耐しつつ、希望をもって歩んでまいりましょう。