2016年 8月7日「悪人にも善人にも」

8月7日 主日礼拝説教要旨
「悪人にも善人にも」 山本一牧師
ヨハネによる福音書9章1~7節


●今年の夏の修養会では日々「自己中心、エゴ」を意識化し、愛に満ちたイエス様の力を求めていく事が大切だと学びました。 「平和」の実現にも「不断の努力」とイエスさまの助けが必要だと感じます。
米国がイスラム国への空爆を開始してから丸2年が経ちます。果たして空爆で本当に平和が来るのでしょうか?
●今日のマタイによる福音書5章には「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」と言う言葉がありました。しかし、この「悪人にも善人にも恵みを与える神さま」は躓きにもなり得ます。悪には悪、善には善という因果応報こそが公平で正義だと考えてしまうからです。
聖書には大昔からの法律として「目を傷つけられたら相手の目を、歯を失ったら相手の歯をもって賠償としなさい」という復讐法がありました。往々にして過剰な報復が行われたからです。それを禁止する意味で損害には同じものをもって償うべきだとされたのです。イエス様もこの法律を知っていました。しかし、ここで全く新しい教えを述べられました。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
あなたに悪を働く者に対して、報復ぜず、善を返しなさいと仰ったのです。なぜなら天の神が、善人にも悪人にも恵みを注がれる方だからだ、というのです。
●目には目を歯には歯を、つまり-1を相手から受けたから相手にも-1を返すとすると、一見平等に見えて、この世の中に-2が残るだけです。子どもの喧嘩を見ていてもそうです。互いに同じ数ずつ叩きあったところで、怒りも痛みもおさまりません。ますます怒りは燃え上がります。それと同じように、報復による負の連鎖は止まり ません。それは私たちの世界の戦争の歴史を見ても明らかです。
イエス様はこの世のマイナスを愛というプラスで補うことの大切さを示されました。そして、自らが十字架にかかり身を持ってそれを示されたのです。自分を迫害する者、頑なな心に、徹底して愛を示す事によって、人間の「闇の部分」を作り変えようとされたのです。
●過激派のテロよって、中東からの移民の受け入れに難色をしめす国が増えています。しかし一度テロリストの人質になったジャーナリストのニコラス・エナンさんはこう言います。
「テロリスト達の世界観の中心はムスリムとその他のコミュニティーは共存できないというものだ。そして日々アンテナを張り巡らせて、その考えを正当化しようとしている。
そんな彼らにとって、難民排除で殺伐としている欧米の動きは、彼らを大いに興奮させている」というのです。しかし、そんなテロリストたちを悩ませたものがあったと彼は言います。
「ドイツの人々が移民を歓迎している写真は彼らを大いに悩ませた。連帯、寛容・・・それは彼らが見たいものではない。」つまり、「愛や寛容」こそが空爆に勝る彼らの脅威なのだと語られたのです。
●「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」とパウロも言います。
自分だけが正しい、自分は誰とも共存できないと決め付け、人を裁き傷つけるような「悪」が私たちの社会にあります。いや、私たちの自身の中にもあります。むしろそのような頑なさ、悪にこそイエス様の温かい太陽の光のような愛が必要で、神様は悪人にも善人にもイエス様を、その愛をお与えになり、全てを愛の光で包んでこの世を変えようとしておられるのです。
その神様の愛をしっかりと受け止めて、共にこの世に神の愛と平和を作りだす人になりたいと願います。