2016年 7月31日「まだまだこれから」

7月31日 主日礼拝説教要旨
「まだまだこれから」 山本一牧師
ヨハネによる福音書9章1~7節


●先日この度日本に帰られる内藤政枝さんの日本のご家族と初めてお会いしました。笑顔で語り合う内藤さんのお姿を見て、素敵な家族の待つ家に帰られる事がわかり、安心すると同時に、今まで知らなかったお姿に触れた気がいたしました。
普段近くにいても人は他の人の事を完全には知る事はできないのだと思いました。そもそも人だけでない、様々なこの世の事柄を私達は完全には理解できないのです。
「何かを知っていると思う人は、知らなければならないほどの事すらまだ知っていない」とパウロは語ります。人は皆完全ではない、と知ることが大切なのだと教えているのです。
●イエス様はある時、生まれつき目の見えない人と出会いました。弟子たちは「彼がそのように生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか」とイエス様に尋ねました。これは当時のユダヤ人の中に、病気や不幸と、本人が犯した罪には深い因果関係があると信じる人たちがいたからです。そしてそれが「生れつきの病や障がい」の場合になると、一体なぜその様になったのかを説明するのは困難でした。ある人はその両親に原因があるとし、他の人は胎児も罪を犯すのだと考えていたようです。
しかし、イエス様はそのようには考えられませんでした。イエスさまがここで仰ったのは「神のわざがこの人に現われるため」という言葉でした。そして、その人を通して神の素晴らしい業が示されたのです。
イエス様はこの人の障害の原因(過去)ではなく、その目的(未来)について語られたのです。人間にはこの世の全ての事柄についての意味や原因はわかりません。イエス様はそのような世の中にあって、後ろを向きがちな私たち人間に、いつも新しい前向きの視点を与え、人を生かしたのです。 そして、私は今でもそのイエス・キリストと出会い前向きに生かされるのだと信じているのです。
●私は神学部時代、様々な事を思い悩み、自分の未熟さを受け止めることができない、弱く、後向きな学生でした。しかしそんな私をある先輩がよく励ましてくれました。
彼は仕事が大変順調だった時期に中途失明をしました。そのため仕事仲間にも冷たくされ、婚約も破棄され、会社もやめることになったそうです。
「なぜ自分がこんな目に」と嘆き絶望の淵に立たされました。しかし、その苦しい日々の中で目の見えない彼にキリストが現れて「私に従いなさい」と言ったというのです。彼は言いました。「今思うとあれは幻覚だったのかもしれない、けれどもその出来事によって「全てを神にゆだねよう」と思い、洗礼を受けたのは紛れもない事実。まだこの先不安もあるが、それでも神に望みを置くことが唯一私の生きる道なんだ」
私は、彼が前向きなのは彼の性格からではなく、キリストとの出会い、神への信仰によるものだったんだと気づいたのです。
彼は後ろ向きな私にいつも「なに言っていんの、まだまだこれからやでー」と口癖のように言ってくれました。
●私たち人間は様々な事柄を、自分勝手に判断してしまいます。自分の人生について、他人やこの世の中について、諦めようとしたり、嘆き絶望してしまいます。弱いですから。けれどもイエス様は苦しみを覚え、絶望の淵にある人のそばに寄り添い、「私がいるから大丈夫、私に従いなさい」と揺るがない未来への希望を示してくださるのです。そのイエス様の故に私たちは前を向けるのです。日本に行かれる内藤さん(当教会で55年以上活躍され、日本への帰国を決められた)の人生も、また多くの人を他の土地に、また天にも送り、寂しさを覚えているウェスレー教会日語部も主イエスキリストの故に「まだまだこれから」です!