2016年 6月26日「孤独を抱える者に」

6月26日 主日礼拝説教要旨
「孤独を抱える者に」 山本一牧師
ルカによる福音書9章51~62節


●52-hertz whalと呼ばれるクジラは他とは異なる周波数でしか話せずコミュニケーションが取れないので世界で一番孤独なくじらとも呼ばれているそうです。またユニセフの調査によると世界で一番孤独を抱えている子どもは日本の子どもだそうです。さてイエス様はどうだったのでしょうか?
●今日の福音書はイエス様の孤独が表されています。「イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意をかためられた」とありますが、イエス様はエルサレムで力を持つ当時のユダヤの宗教家たちの無理解と虐げによって十字架に架けられました。また今日の箇所をみるとユダヤ人の敵対していたサマリア人からも受け入れられなかったと記されています。
しかしイエスさまが最も孤独を感じたのは、そばにいる弟子達の無理解だったのではないでしょうか。サマリア人がイエスさまを歓迎しないのを見た弟子達は言いました。「主よ天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」。もちろんそんな事イエス様は望まれず弟子を叱られました。
イエスさまの弟子も、全くイエス様の事を理解していなかったのです。
「狐には穴があり空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
この言葉はイエスの孤独を表しています。
●けれども、だからこそ、イエス様の周りには全く完全に孤独になった人たちが集まってきたのです。
今日の後半には、イエスさまがこれぞと思った人に声をかけたら「まず父を葬らせてください、いとまごいをさせてください」と次々断られたというエピソードが続いています。そして最後に厳しい言葉が述べられています。「鋤に手をかけてから後ろを振り返る者は神の国にふさわしくない」一見、家族に対して冷たいと思えるような 言葉ですが、これは、イエス様は当時、本当に家族も居ないような、完全に孤独な人たちの間に主に受け入れられたという事を表しているのです。
●ある人が尋ねられました。「それでは金持ちはどうしたら良いですか?」イエス様は貧しい人のためにこられたのなら、お金を持っているとイエスさまの救いに与れないんですか?私はそうではないと思います。なぜならお金のあるなしに関わらず「孤独」というものを私たちは経験するからです。者やお金があれば幸せかと言うと必ずしもそうではないのです。むしろ日本の子どもように物やお金が溢れる中で孤独を覚えます。また人は育った環境で個性も性格も異なります。おかれた場所や環境によっては、時に、皆と言葉が通じない、思いが通じない、一人だけ周波数の違う言葉で話す52ヘルツのクジラのようだと思うような孤独を味わうかもしれませんし、また私たちは皆、いつか家族、財産、名誉、健康、この世の全てのものを失ってこの世を去らなければならないのです。
この世で虐げられ、十字架煮つけられ、この世の孤独の全てを味わわれたイエス様は、私たちをそのような「孤独の極みで」その孤独から救うために待っていてくださるのです。
●身体の自由を奪われた水野源三さんの詩の中に、「ひとりではない」という詩のがあります。
世の務めをはなれ病にふすときも
一人ではない 一人ではない
死んでよみがえられたイエスキリストが
見守りたもう その目で見つめよ
頼るべき者を失い、孤独や淋しさが極まり、罪や弱さを知る時にも、人に躓き誰も信じられなくなるその時も、いや、その時にこそ神が出会ってくださる、復活の主イエス・キリストの愛に包まれていることを知ることができる。その事を信じ、新しい希望に生きたいと願います。