2016年 5月8日 「I was born」

5月8日 主日礼拝説教要旨
「I was born」 山本一牧師
イザヤ書49章:マタイ12章46-50節


●本日は「母の日」ですが、時に人は「自分を産んでくれてありがとう」と素直に母に言えないような家族環境に置かれる事もあるように思います。幼児虐待や育児ストレスの話も深刻です。自分も時に母と喧嘩し「なんで自分を産んだんや」と心ない、言葉を投げてしまったこともあります。
●吉野弘さんという詩人が「I was born」という詩を書いておられます。
「I Was Born」というのは受身形。つまり人間は皆「生まれさせられるのだ」というのです。確かに母が子を生むのですが、その時期も性別も選べない「出産」という営み自体が人間の意志を超えているという事をこの言葉は示しているのです。
聖書という書物は人は「神によって」生まれさせられるのだと告げています。そこにこそ大きな意味と希望がある事を今日の箇所は告げているのです。
●「主は母の胎にあるわたしを呼び、母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。」と始まる今日のイザヤ書には、神様から特別な使命を受けて生まれた「神の僕」について語られています。これはキリストを預言したものだと言われますが、同時に、この世に生み出される私達もまた、神様を知る時に生きる意味や使命というものを得るのだと教えているように思うのです。
「あなたは私の僕、イスラエル あなたによって私の輝きは現れる」ともあります。イスラエルの民達に、あなたがたは、ただこの世に生みだされるのでもない、尊い神の意志によって、神の輝きをこの世に表すために生み出された存在なんだ、と聖書は告げているのです。これは今の私たち一人一人にも向けられた言葉だと信じたいのです。 ●今日の福音書はマタイによる福音書12章です。イエス様は弟子達を指差し、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」と言われました。イエス様は血のつながりの家族も大切だが、神のみ心を行う、つまり深い愛の輝きを互いに示す、その「愛の関係」こそが家族として大切なのだと示されたのです。
●「おかあさんになるってどんなこと」
(内田麟太郎文,中村悦子絵)という絵本があります。
「母になるとは名前を呼び、手をつなぎ、心配して、涙を流して、抱きしめる事」。可愛いウサギがそれを示しています。
私はここにイエスキリストが示された「愛」が描かれていると思いました。この絵本を読み、私たちの神様がこのように私たちの事を愛してくださっているという事に思いを馳せると同時に、私もこのような愛を持ちつづけたいと願いました。
●今日のイザヤ書にこのような言葉もあります。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。」
ここでは神様が母に例えられ、その愛の深さを伝えています。そして「たとえ女達がわすれようとも、わたしはあなたをわすれない」と告げられています。
これは、たとえゆがんだ社会の中で周りの人間にそのような輝きが見られない時があろうと、その神の愛の輝きは直接、神様からあなたがたに臨むのだという希望が語られているのです。
この母の日、何よりも私達を生み出しどんな時にも愛し、またこの愛に欠けた世に神の愛の輝きを示すために用いてくださる神さまをご一緒に覚えたいのです。