2016年 4月10日 「立ち返るところ」

4月10日 主日礼拝説教要旨
「立ち返るところ」 山本一牧師
ヨハネによる福音書21章:1-14節


●今年二月に天に召された佐藤初女さんは青森の「森のイスキア」で手作りのおにぎりやお味噌汁で多くの人を癒されました。その佐藤さんの姿勢は詩に現れています。
「もしも私がひとりの友の 心の痛みを癒せたら もしも私がひとりの友の 生きる苦痛を救えたら ひとりの人の憂い迷いを心の安らぎに導けたら 弱った小鳥をそっと両手に捧げてその巣に返した時のように私の生きる喜びとなる」
そのような思いで、一人の人に誠実に接する時、おにぎりにも人を立ち上がらせる力が宿るのだと知らされます。

●聖書の福音書にはイエスさまが蘇って人々に現れたと記されています。しかしその内容は4つの福音書で様々です。
もしも私たちが死んで復活したら大切な事を大切な人に伝えに行くでしょう。同じように各福音書が記す復活のイエスさまの姿や言葉には、後の教会が大切にすべき事「立ち返るべき所」が記されているのです。
マタイは山上で復活のイエス様が「教えを守るように」と言ったと記します。これはあの有名な山上の説教を思い起こさせ、イエス様の教えを守ることを強調しています。では、ヨハネの強調点はどこに?

●今日の箇所はイエス様の弟子達が故郷ガリラヤの湖で復活のイエス様と出会い、その言葉に従うと153匹もの魚がとれ、共に食事をしたという内容です。
伝統的にこの箇所は153匹の魚を全世界の人、「網」を教会と捉え、この「大漁の奇跡」 は「教会が世界に広がっていく」という事なのだと解釈しました。しかし、網で一度に沢山の人を捕らえるような宣教が本当に協調されているのでしょうか?
注目したいのは「大漁の奇跡」ではなくあくまでイエス様の姿です。イエス様は自ら夜通し働いた弟子たちのために食事と、冷え切った体を温めるための炭火を用意され、その手で一人一人の弟子たちに食べ物を配り、仕える者となられたのです。

●4節「それがイエスだとはわからなかった」という言葉を見ると、復活のイエス様は全く違う姿で現れたようです。姿は違うが、あのイエス様と全く同じ姿勢、一人一人を大切にし、率先して人に仕えられたイエス様の愛に弟子達は再び触れたのです。そしてその愛は、イエスを失って失望し、元の「さえない漁師」に戻っていた彼らを今一度立ち上がらせたのです。


●佐藤初女さんはこのように仰いました。「神様は、私たちの目には見えませんし、声も聞こえてこないのですが、生身の人間、肉体を通して、私たちに働きかけてくださいます」
今でも誰かを通して、私たちにイエス様は働きかけてくださっています。だからこそ人は時に誰かの些細な配慮に心打たれ、涙を流し、悲しみの中からまた再び立ち上がる力を得ていく事が出来るのです。
おにぎり一つであっても祈りをこめる時に、小さなお花一つ、挨拶一つ、声かけ一つに心をこめていくならば、そこにキリストの力が注がれて、弱った人が立ち上がるような奇跡がある事をご一緒に信じたいと思います。