2016年 4月24日 「神の栄光」

4月24日 主日礼拝説教要旨
「神の栄光」 山本一牧師
ヨハネによる福音書13章 31~35節


●以前日本で柳田邦男さんの講演を聞きました。そこで「絵本の読み聞かせ」が子どもの教育に最も良いと聞き、これを毎晩続けています。しかし今思うと、子どもの教育のためというよりも、親子でケタケタと笑いながら親子で過ごすこの時間そのものに尊い価値があるように感じています。


●ヨハネ福音書には度々「栄光、Glory」という言葉が出てきます。誇るべき事・成功の絶頂・美しさという意味ですが、インターネットで検索すると一番に出てくるのが、中学受験の学習塾でした。これは今の世の中の情勢を良く表しています。通常、人が求める栄光とは学歴であったり、地位であり、名誉なのかもしれません。
けれども振り返って、それが本当に人の幸せ、誉れなだろうかと問わずにおれません。往々にして、この世の価値観ではないところに本当に大切なもの「私たち人の人生の栄光」があるのではないでしょうか。


●今日の聖書はイエス様が「栄光」を受けたと告げられています。イエスさまにとっての栄光とは何だったのでしょう?
今日の箇所は31節「さて、ユダが出ていくと」という言葉で始まっています。これはイエスを裏切るユダがその裏切りを開始したという事です。それを見てイエス様は「さあ今!人の子は栄光を受けた」と言われたのです。つまりイエス様にとっての栄光、輝かしい誉れとは裏切りに始まる受難、十字架の死の出来事をさしているのです。これは何とも受け止めがたい事です。
福音書は、イエスさまの素敵な奇跡や不思議な業の話を記しています。しかしその ような奇跡を行うイエスさまの姿よりも、あの虐げられ、十字架につけられた姿にイエスの栄光があったと言っているのです。
イエスの十字架は、神ご自身が、罪深い人間のために命を捧げて、その罪を贖う犠牲となった愛の出来事で、そこに神の栄光があったのだとヨハネは告げているのです。
このメッセージは、私達の「栄光」(本当に大切な事柄)とは何なのか、を問うているように思うのです。


●イエス様は続けて「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われました。
社会的地位を得る事や、大きな事業や、この世での成功、それも良いでしょう。けれども、本当に大切な事は、欠けや弱さを持ちながら生きている私たちがそれを補い合い祈り、愛し合う事にあり、そこにあの神様の栄光が立ち表れるんだということを述べているのです。


●「100万回生きた猫」という佐野洋子さんの書かれた絵本があります。100万回死んで生まれ変わった猫。王様の猫や船乗りの猫・・・何度生きても愛する事を決して知らなかった猫が最後に愛する者のために涙を流し、もう生まれ変わらなくなった。というお話です。 これは人の人生は、自らが人を愛する事がなければ空しい人生である事を教えているように思います。
私たちは何を求めて、何を「栄光」として生きているのでしょう。
聖書はその命を十字架で捧げるほどに、私たち人間をこの上なく愛してくださったそのイエス・キリストの姿に神の栄光があったと告げています。私たちもまた「神を愛し、人を愛する」その歩みを第一として励んでいきたい、と願います。