2016年 4月17日 「主が共にいてくださる」

4月17日 主日礼拝説教要旨
「主が共にいてくださる」 山本一牧師
詩編23編


●過日より続く九州地方の地震の被害は深刻です。何も出来ないと絶望的に感じる事もあります。そんな中ある方が「教会でぜひお祈りさせて欲しい」と言われました。「そうか、離れていても祈る事はできる」と教えられ、また今できる事を神様を信じて希望をもって、諦めずにしていけば良いのだと改めて教えて頂いた気がしました。

●大地震が起こったエクアドルの童話に「ハチドリのひとしずく」というお話があります。
森が燃えていました
森の生き物たちはわれさきにと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」

●話はここで終わりますが、続きがあるとすれば、私はこの一匹のハチドリの誠実な姿に感銘を受ける者が次々と現れ、繋がり、大きな力となっていったという話になるのではないかと私は考えます。
私たち一人一人は小さな力ですが、無力感やあきらめを吹き払い「できること」について考え、行動を積み重ねてゆけば、そこに賛同者が与えられ、燃えている森の「火」を消す力にだってなれるかもしれないと思います。実際にそのようにして、私たちは大きな災害に立ち向かってきたのです。そして、私は、そこに神さまの力が働いている事を信じているのです。

 ●今日の詩編23編「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と言う言葉で始まる、この詩はイスラエル至上最高の王であったダビデ王の詩とされています。
神が羊飼いに譬えられていますが、旧約聖書では珍しいのです。聖書の神様は人間の思いをはるかに超えた存在ですから普通「王」や「救い主」など一般の人が軽々しく近寄る事ができない存在に譬えられます。それを「羊飼い」と表現することで、この詩人は、神さまを手の届かない存在としてではなく、常に自分のことを心配し、導き、守り、癒やし、助けてくれる身近な存在として描いているのです。
4節が大切です「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」
神様は天から災いをそそいで知らん顔をしているのではない、一匹の見失った羊を追いかける羊飼いのように私たちを愛し、私たちと共にある。目には見えないけれども、私たちが災いに会うときにそこに必ず共にいてくださるんだ。だから私は災いを恐れない。そう告げているのです。

●神を信じても災いは起こります。この詩の作者とされているダビデ王もイエスさまもまた、この世では苦難に合いましたが、常に父なる神に目を注ぎ、自分に与えられた運命、苦難に立ち向かっていったのです。
そのイエスさまの力が今私たちにも注がれている。苦難の時に共にあると聖書は告げているのです。
復興支援ジャズカツには900名近い方が来られました。私たちがくじけずに集り立ち上がったところに神様の、イエス様の力が不思議と働き、人と人が結びつけられ、大きな力となっていった事に感謝します。