2016年 2月28日 「死から命へ」

2月28日 主日礼拝説教要旨
「死から命へ」山本一牧師
ルカによる福音書15章11~24節

●スイスの作家、ヨハンナ・スピリの「アルプスのハイジ」の中で、若い頃放蕩の限りを尽くしたアルプスのおじいさんが「一度神さまに忘れられたら、もう遅い、永久に忘れられてしまうんだ」と言った時に、少女ハイジは「ちがうわ、神さまのところへは帰ってゆけるのよ」と言って、聖書の放蕩息子のお話の箇所を読みました。若い時に父親から財産をもらい、遊びほうけて落ちぶれた息子がどん底の生活を味わう。その中で父を思い起こし、謝り、雇い人の一人にしてもらおうと帰っていく。その時に父は怒らず、走りよって彼を抱きしめ「息子は死んでいたのに生きかえった」と喜び、迎え入れたというお話です。このハイジの素朴な信仰と言葉に触れたおじいさんは、その夜ハイジの寝ているベッドのそばで、大粒の涙を流して、神に立ち返るのです。そして、村の教会に行き、村人たちとの交わりに戻っていくのです。
●聖書には父親が帰って来た放蕩息子を抱きしめてこう言ったと記されています。「息子は死んでいたのに生きかえった」『アルプスの少女ハイジ』は、少女ハイジの信仰と成長のみならず、一度、神と人を捨てた一人の人間(おじいさん)の神さまと共同体への復帰を描いているのです。
●以前働いていた教会に元ホームレスのある男性がおられました。彼は仏教系宗教に出家するために全てを捨てて熊本から神戸にでてきましたが、後にその施設から追い出されてホームレスとなりました。幸い近隣のカトリック教会に拾われ、支援を受け、畳2畳の簡易宿泊所で生活を始めました。しかし、家と国からの支援は得たものの、家族・友人がいない彼は一人で家で酒を飲むようになりました。お酒だけが友達という状況でした。その様なケースは多いのです。
 そんな彼らの支援として、教会は近況を報告し合い、勉強や、コミュニケーションの練習をする場を提供していました。そこに彼も来るようになりました。
彼は何度もお酒で失敗しましたが、ある時、病院のICU一月に入って依頼、教会とアルコール依存から脱するための集会に自分から行き始めました。
そして、ある時彼は「私は主を信じる。だから洗礼を受けたい」と言いだしました。しかしそう言いながらも、数珠や龍を縁起がいいと求めたりしていました。そんな彼も「主を信じる」と洗礼を受けました。
洗礼を受けてからも彼は自分勝手にふるまっていました。しかしある時、彼は教会の重たい荷物を運ぶ重労働を進んでしました。彼が進んで誰かのために何かをすることは殆どありませんでした。丁度彼が教会に来だして1年が立った時でした。私は、「人は変わるんだなぁ」と感動しました。その数日後、彼は突然天に召されました。
彼の葬儀はとても印象的でした。もちろん家族は一人もいない。けれども地域の人たち、教会員が総勢30名以上集りました。そこである牧師が言いました「彼は人生の最期に人の交わりに戻ってきたんだ」。
本当にその通りだと思いました。
●「人の交わりに戻ってくる」という事、それには大きな勇気が入ります。努力もいります。何より神への信仰がなくては戻ってこれない。私はそう思いました。
彼は「人は神と人との交わりに、戻ってこれる」という事をその身をもって教えてくれたのです。
人は教会の交わりの中で、キリストの愛を受け、育まれ「死」から「命」へ、という程に変わる事ができるのです。遅いことなんてないのです。それを信じ共に歩んでまいりましょう。また今、この世にあって神にも人にも絶望している方々に寄り添い、歩んでいきたいと願います。