2016年 3月6日 「語り伝えるべき事」

3月6日 主日礼拝説教要旨
「語り伝えるべき事」 山本一牧師
詩編78章1~8節 マルコ14:50-52

●決して風化させてはいけない事、語り伝え続けなければならない事があります。太平洋戦争(原爆や日系人強制収容)や東日本大震災、原発事故などです。何故語り伝えるのか?それは人間が同じような差別や戦争事件や事故を繰りかえしてしまうからです。
津波被害の出た三陸には「津波てんでんこという言葉があるそうです。「津波が来たら、各自てんでんばらばらに高台へと逃げろ」という意味で、逃げ遅れて共倒れにならないため、また津波の時には、たとえ他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない。という暗黙の了解をも意味するそうです。この言い伝えを学んでいたおかげである中学校では、全員が助かったそうです。
●聖書も元もとは先祖の伝承を口頭で大切に語り伝えたものでした。今日の詩編78編には「子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう・・・主が成し遂げられた驚くべき御業を」とあります。詩人は何を語継ごうと言うのでしょうか。
この詩編にはイスラエル民族の歴史が語られていますが、明確に2つの事柄が示されているのです。一つは「神の前で罪を犯す人間の姿」、そしてもう一つが、「その罪にもかかわらず、人間を赦し憐れまれる神さまの姿」なのです。「彼らの心は神に対して確かに定まらず、その契約に忠実ではなかった。しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる・・・」このこの2つの姿をこそ、この旧約聖書の詩人は、語り伝えようと言っているのです。聖書の素晴らしい点は、自らの民族の失敗や汚点を、隠さず後世に伝えているところです。 何故かというと、そこにこそ神の偉大さ、愛と憐れみが示されるからです。
●今日の福音書はイエス様が十字架につけられる前の出来事です。弟子達が皆逃げ出してしまい、ある若者は素敵な亜麻布の服を捨てて裸で逃げてしまったという話です。
聖書になぜこんな恥ずかしい事を書いたのかと思ってしまいそうですが、この数行が書かれた事がとても大切な意味を持つのです。
ある人は、この若者はこの福音書を書いた著者マルコの姿ではないかと言いました。「私はイエスさまが捕まった時に、なりふり構わず見捨て逃げ出してしまったんだ!」と伝えているのです。この青年がマルコであれ誰であれ、やはり人間というのは自己中心的で、いざというときに弱く、罪深い存在なのだという事を記したかったのだと思います。
しかしマルコが伝えているのも、やはりそれだけではない。その弱く罪深い私たちをも独り子であるイエス様を十字架に架けて神様は赦してくださったのだと告げているのです。
その恵みがあるからこそ、思い出したくもない辛い失敗も語ることができたのです。
●東北の被災地で中島みゆきさんの「時代」という歌がよく歌われているそうです。
「今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」
未だ被災地には「悲しくて涙もかれ果ててもう二度と笑顔にはなれそうもない」という状況があります。また人生にはそのような状況が多々押し寄せてきます。けれども悲しみや後悔、絶望のある場所に必ず注がれる人の愛、主の愛で、いつか笑顔で語れる時が来る事を信じ、祈ってまいりたいと願います。