2016年 1月24日 「弱さが必要なのです」

1月24日 主日礼拝説教要旨
「弱さが必要なのです」山本一牧師
マタイによる福音書18章10~14節


●合同メソジスト教会のDonna牧師は事故で脳に障害を負われ、話す事や集中する事などが困難になりましたが、後に絵を描くことを通して言葉にできない呻きや祈りを表現する事を始め、同じく苦難の中にある人に癒しを与える活動を続けておられます。
彼女はDancing with Pain「痛みと共に踊る」という言葉を用い、痛みや弱さ、悲しみを隠すのではなく、素直に表現できる時に最も良い作品が生まれ、自分自身が癒されるという事を仰いました。痛みや弱さをもった自分もを認めていく時に、本当の強さが生まれ、また人を感動させたり、癒したりする事に繋がるのだと知らされます。

●小林富次郎という明治期のクリスチャンは事業に失敗し自殺を決意しました。しかし教会で「全ての重荷を神に委ねよ」という言葉に出会い、心の中の思いを全て神様に向かって吐き出し、自分の無力さ、弱さを認める事で心がスーっと軽くなったと言います。その後、彼は深い信仰と精神を与えられ「ライオン歯磨き」の会社を始め、成功を遂げていくのです。失敗の中、自らの弱さを認める事がへりくだり、委ねる姿勢をもたらし、それが最終的に人の人生を豊かにする事になると彼は証したのです。
キリスト教信仰というのは成功ばかりを尊ぶ姿勢や、強さや力だけを追い求め「強くなければならない!」と気張って生きる事から私達を解放してくれるのです。弱さを持ちながらも、活き活きと生きる事ができる。また逆に強さにおぼれずに謙虚に生き る事へと導かれる。これがキリスト教信仰の神髄です。

●使徒パウロは、私たちはそれぞれ一つのからだのパーツであり、違う働きをしているが「体の中で、ほかよりも弱く見える部分が、かえって必要だ」と言いました。弱さを通して人と人とが結び合わされ、あのイエスキリストの愛と恵みに触れる事ができるのだと教えているのです。
先日教会で開いた介護についてのセミナーも予想をはるかに超える参加者となり、良い学びと出会いの時となりました。私達人間が持つ弱さや不安、それに寄り添おうとする愛が沢山の人を結びつけたのです。
弱さのないところに、イエス様は必要ないのです。愛も、慰めも、癒しも赦しも起こってこないのです。弱さと共にあのイエス様の愛が生き生きと溢れてくるのです。

●今日の福音書は有名な99匹と1匹の羊の例え話でした。イエス様が仰いました。「飼っている100匹の羊のうち1匹が迷い出たら探しに行かないだろうか」
効率からいうと勝手に迷い出た一匹を探しに行くことは間違いかもしれません。しかし、神様は問題のある迷いでた一匹を愛し、そのために天からイエスさまを送られたのだと教えているのです。
私たち全ての人の中に迷い出るような1匹の羊があるということを思います。自分の中で見たくない部分、闇の部分、誰もがそれを持っているのです。けれども、それが決定的に大切なのだと聖書は告げるのです。なぜならそこに、特別なイエス様の愛が注がれるからです

●わたしは自分が悪い事をした時に親に起こられるという体験も沢山しましたが、ある日、どうしようもない自分を親が抱きしめてくれた経験をしました。その時の事を忘れる事ができません。私たちの信じる神様は本当に駄目な、賭け多い私たちをそのように愛してくださるのです。私たちの中の迷い出た一匹をその弱さを愛し受け止めてくれる神様がある。その事を覚え、私たちもまた自らの弱さを、人の弱さを受け止める事ができればと願います。