2016年 11月13日「仕え合う幸せ」

11月13日 主日礼拝説教要旨
「仕え合う幸せ」 山本一牧師
マタイによる福音書5章1~12節

●先日の大統領選挙以来、多くの方が不安を覚えています。私は今のアメリカが、事業家であり不動産王である候補者を選んだところに、この国が経済の発展を第一に望んでいる事を強く感じ、少し経済偏重が行き過ぎではないかと感じました。今は、むしろ人の本当の幸せはどこにあるのか問う時ではないかと思うのです。
●時々、漢字というのは面白いなぁと思います。「幸せ」という漢字は「土」という字と「¥」という字にわけられます。土地と、お金があれば幸せだと言う風に読めます。その通りに、90年台は土地と日本円があれば幸せが得られるという幻想に人々は狂いました。しかし実際はバブルに過ぎず、お金や土地を追い求めた結果、幸せになれたかというと、そうではなかったのです。
●聖書は幸せについてどのように語っているのでしょうか?今日の福音書は有名なイエス様の山上の説教の始まりで「幸せ」について語っています。しかし一見するとあまり幸せそうではない事ばかりです。
「心の貧しい者は幸いである」これはギリシャ語では「プネウマ(霊・息)が貧しい」と書かれていまして「霊的に貧しい」(元気のないような人)とか、「息も絶え絶えな、弱っている人」という風にとれるのです。「柔和な人」も英語ではMeekで、「意気地がない人」と訳したほうが良いでしょう。また「悲しむ人」、や「正義のために迫害されるもの」も到底幸せそうには見えません。実に、これらの人は皆、この社会で少数者であったり、抑圧されていたりするものたちを示しているのです。
そして英語ではこの「幸せだ」という言葉はHappyではなくBlessing(祝福)です。神さまからの祝福があなた方にある。という うことなのです。言い換えると迫害されて、おびえ、悲しんでいるような、あなた達には私、神の子イエス・キリストがいるということなのです。
●私は、この度、本当にそうだと感じました。この度の選挙以来、誰が一番不安の中にあるだろうと考えた時に、ハッと、先日隣の教会のミニストリーで出会った近隣のヒスパニック・ラティーノ系のご家族のお顔が浮かびました。様々な事情で不法滞在になっており、公的支援をうけられない家族でした。
私は、そのご家族の事が思い浮かんだとたん、心臓がドキドキ、息苦しくなる思いでした。そして丁度祈祷会をしておられたので駆けつけるとその家族のご主人が日雇いの仕事を求めて行った店の前で取り囲まれて不法移民である事を責められたそうです。また、子どもたちは親と離れ離れになるのではないかと恐怖を抱いていました。
私たちは皆で手を繋いで祈りました。
私は「息の絶え絶えな人は幸いだ」「悲しむものは幸いだ」そのような言葉の意味が本当にわかっていませんでした。でもこの時、あぁここにイエス様が目には見えないけれどもいてくださるんだ、と感じたのです。そしてこのご家族を思うと、不思議と力が湧いてくるように感じたのです。
●幸せという漢字の話をしましたが、昔、幸せとは「仕合せ」とも書いたそうです。互いに仕え合う間柄に幸せがあるんだという風にとれます。
誰が国のリーダーであっても、厳しさや悲しみ、苦しみはこの世からなくなりません。大きな権力のうねりの中で、私たち教会にできることは、今一番弱り悲しんでいる人に寄り添っていくことです。そこにイエス様の慰めと励ましと支えが感じられるのです。そのような、互いに仕え合う中で与えられる本当の幸せを教会は求めていきたいと思います。