2016年 10月30日「主の信頼を受けて」

10月30日 主日礼拝説教要旨
「主の信頼を受けて」 山本一牧師
ルカによる福音書19章1~10節

●ひと月の間、日本で両親と共に沢山の時を過ごす事ができ感謝でした。未熟な私を誰よりも私を信頼し、根気強く支え導いてくれたのは両親でした。
父はお米の研究者で、小さなお米の一粒の中に込められた無限の可能性を信じ、研究に取り組んでいました。父は本当に頼りない私という存在に対しても、その内なる可能性を信じてくれていたように思います。そしてその「信頼」こそが、有り難かったと、今、心から感謝しています。
●使徒パウロは自らが生み出したコリントの教会に何度も手紙をおくります。派閥争いなど様々な問題があった教会と信徒に対してパウロは、繰り返し「あなたたちには神の霊、命が宿っている」と語りかけているのです。あなたがたは「神の神殿」「神の実りを生み出す畑」や「尊い恵みを内に入れる神の器だ」という言葉です。
初代教会を支え、成長させたのはこのパウロの「信頼」だったのです。そして福音書は、イエスさまこそが愛と信頼をもって人と出会われたのだと告げているのです。
●今日の福音書はザアカイのお話でした。
ザアカイは人々から税金を取り立て、ローマ帝国にそれを治める徴税人で、当時のユダヤの民たちからは、裏切り者で私服を肥やす罪深い人だと考えられていました。
そんなザアカイですが、彼の心はどこかで神を求めていました。イエス様が近くを通られると聴き、背が低いザアカイはいちじく桑の木の上にまでのぼってイエスを見ようとしたとあります。そんな彼にイエスさまは目をとめられました。そして、「今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と声をかけられたのです。
 イエス様は表面的な部分をみてザアカイを責めず、その彼の心の奥底に微かに、けれども確かにある神への信仰を見て、私はこういう人の内に宿り「内なる信仰」を燃え上がらせるために来たのだと言わんばかりに、声をかけられたのです。
9節の「この人もアブラハムの子だ」と言う言葉はこのザアカイも偉大な先祖と同じく神への信仰をもった一人だ、という信頼と愛に満ちた言葉です。実にそのようなイエス様の信頼がザアカイの人生を変えさせました。彼は「財産の半分を貧しい人に施す」と言いました。ザアカイは信頼された喜びと共に変えられたのです。
●表面的な部分を見て、すぐに罪人だと判断がくだされるようなユダヤ社会の中にあって彼を信頼する者はなかったのでしょう。今の時代も同じです。少し変わった行動や、言葉でその人の全てが図られ、否定さがちです。私たちは人や物事の悪い一面だけを見て過剰に不平を言い、あきらめてしまいます。しかし今もイエス様だけは全ての人を信じる事によって「溢れる喜びと共に」人を変えていっておられるのです。
●私自身この度、日本でお世話になった教会を再び訪ねてみて、本当に未熟な私が教会の牧師や人を通して、この主の信頼と愛を受けて、喜びと共に変えられてきたのだという事に気づきました。「教会は人を育むことのできる最高の土壌」です。信じがたきを信じる神の愛があり、人を豊か成長させて頂く事ができる場所です。
ぜひ教会に繋がり続けて下さい。どれだけ自分が小さく思えようともイエス様は「そんなあなたの心に宿りたい」と私たちの小さな信仰を力づけ、励まし、そして本当に幸せに生きる道へと導いてくださるのです。そして、私たちも互いに心の奥そこにある信仰の輝き、可能性信じあい、歩んで参りましょう。