2015年12月27日「今はわからなくても」

12月21日 主日礼拝説教要旨
「幼子イエスに見る救い」山本一牧師
ルカによる福音書2章22~35節


●私たち人間は、時に人生のプランニング(計画)をします。その通りに行くことも、そうでないこともありますが、先日ひとつの絵と出合いました。Your Plans & God’s plans for youという絵です。

人のプランは平坦ですが、神のプランは山あり谷あり…終わりもない。これは神様の計画は私たちには計り知れないという事を示しています
旧約聖書の時代コヘレトも「全て神様の定める時があり、その全てをみ極めることはできない」と言いました。大昔から計り知れない神様のご計画があることを人は心に留めてきたのです。
●今日の福音書にも神の計画を理解できない人々が登場します。イエス様の少年時代のお話です。12歳の少年イエスが成人となるための準備として両親と共にエルサレムの神殿に礼拝に行きました。そこで少年イエスが行方不明になったのです。各地から人が大勢の人が集まるエルサレムのお祭りの時です。幸いにも3日後にエルサレム神殿でイエスは発見されますが、マリアとヨセフの焦りは彼を見つけた時の言葉に表れています。「なぜこんなことをしてくれたのです。・・・お父さんも私も心配して探していたのです!」普通の親子の会話です。 この言葉に対して少年イエスは「何故私を探したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だと言うことを知らなかったのですか」と言います。少年イエスは自分が神の子だと言ったのです。ここに、ちらりと救い主なるイエスの片鱗が見えます。ただ、両親にはそのイエスの言葉の意味がわからなかったと記されています。
熱心に神を信じ、掟を守っているマリアとヨセフですらその時、この子が神の子であり世界の救い主となる神の偉大な計画があるという事は理解できなかったのです。
それは、私たち人間には神様が用意しておられるご計画の全てを知る事は出来ないという事をつげています。

そして、そんな中で私たちにできるのは、このマリアのようにただ「すべて心に納める」事なのです。それは神様のご計画の全てはわからないけれど、きっと何かあるに違いないと神様にゆだねつつその出来事を受け止めることであり、神様の時を待つ、ということです。
●きっと、この事件はマリアとヨセフにとって子育てしている中で最も大きなハプニングだったのでしょう。往々にして、私たちの計画の中にない困惑する出来事の中に、神様のご計画が表されているのです。
聖書はあの最も辛い十字架の出来事にも「全ての人の犯す罪の贖い」という大きな意味があったのだと告げています。ただ、それら全ては後になってからわかるのです。
●聖書は普通のしかし、神を信じる一人の少年イエスに、全ての人の救いという壮大な計画が秘められていたと告げています。同じように人間としての欠けや弱さを持ったこの私たちにも、またこのウェスレー教会、日語部にも、神様の特別なご計画があるのです。今ははっきりと分からないかもしれないけれど、全てを心に納め神に期待しつつ、ご一緒に歩んでいきましょう。