2015年 8月23日「後の世に残すものは」

8月23日 主日礼拝説教要旨
「後の世に残すものは」山本一牧師
詩編105編1−11節


●8月21日の朝、レイパーク教会の堀越比佐子さんが99歳で召天されました。1938年から夫である堀越牧師とともにアメリカに渡られ、戦時中には強制収容所も経験もされた日系一世の一人でした。最後までこのベイエリアの日語部の事を思い、人を励まし生きぬかれました。私たちは皆、何を彼女から受けたのでしょうか。また私たちは何を後世に残していけるのでしょうか?
●内村鑑三は「後世への最大の遺物」という書物の中でこんな事を語っています。
「人が後世に残せる、価値の高い物の第一はお金だ。(しかしお金の良い使い方を知っている人だけ)。次にお金を稼ぐ能力がない人は『事業』や『思想』(ものの考え方)を残す事ができる」。そして最後に、お金も、事業も、思想も残せない人はどうなのかと言ったときに、彼は人としての生き様「勇ましい高尚なる生涯」を残す事ができ、実にこれこそが「後世への最大の遺物」なのだと締めくくるのです。
彼はまた、勇ましい高尚なる生涯とは「この世は悪の世ではなく神の世界であると信じる事、失望の世でなく希望の世、悲嘆の世なくして歓喜の世であるという事を自分の生涯に実行して、その生涯を世の中の贈り物として世を去るということである。」と言いました。平たく言えば、この世には色んなことがあるが、それでもなおこの世には希望があると信じ生きるということなのです。
●今日の聖書、詩編105編は2500年以上前頃に書かれたものです。詩人は「驚くべき(神の)み業」を歌え、また心にとめよ、と繰り返し述べています。ユダヤ人である詩人にとって最も大きな事は、出エジプトの出来事でした。弱小の民族で奴隷であったイスラエルの民達が、あのモーセという指導者によって導かれ、数々の奇跡を経験し つつ、守られ救われていった出来事です。この詩編の後半には、そのような神さまの不思議な導きと様々な奇跡が書き綴られていますが、詩人が伝えたいのは「神は生きておられ、私たち人間を決して見捨てず愛しておられる。神に希望がある」と言う事なのです。この詩を書いた詩人は、幸せな中でこれを書いたのでしょうか、そうではないと思います。周囲に絶望がある中でそう叫んでいるのです。
●昨今、この社会の現実を見たときにもまた「絶望」の淵にある命が本当に多いことを思います。社会にも、家庭にも、教会にも問題があります。しかし聖書は言うのです、こんな世の中だからこそ信仰をもって、神への希望を捨てずに生きていく人、「勇ましい高尚なる生涯」を世に示すことができる人が必要なんだと。
教会に集う私たちはぜひ、自らに与えられた能力をフルに用いて、絶望の淵にある友のために大いに何かを残していくべきです。残せるなら「お金も、また事業も、そして思想も」。そして何よりも、自分が苦しみの中で実際に経験した「神さまの驚くべき愛と希望を伝えなければならないのです。
「驚くべきみ業をことごとく歌え」と詩人はいいました。この「歌う」とはそれは、この世に神さまが生きておられ、私たち人間を愛しておられるということを喜びつつ全身で伝えなさいという事なのです。
●振りかえって、堀越比佐子さんもまた、その小さなお体で、最後はガンに蝕まれた体で、なおも神さまの存在を、希望を愛を歌っておられたことを思い起こすのです。
そのように私たちの信仰の先輩達が、困難の中、目には見えない主にある希望を高らかに歌ってきたように、今、私たちもこの世の苦しみのただ中で、神さまの愛と希望を歌っていきたいのです。
「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい、私は既に世に勝っている」そう言ってくださるイエスさまと共に。