2015年 7月26日「神の国はパン種のようなものである」ディビッド・コウ牧師

「神の国はパン種のようなものである」

ディビッド・コウ牧師

マタイによる福音書13:44

先週私たちは、「神の国はパン種のようなものである」ということについて学びました。説教の中で私は、神の国とは「この世が、神の国として造りかえられる」という、イエスのこの世への展望そのものだと指摘しました。神の国とは、神の愛と恵を、私たちが具体的なものとして経験するその時、その場所で存在しているのです。

先週のパン種のたとえ話では、ある女性が台所で、裸足で、パンを焼いていたとき、神の国が存在したということを、私たちは知りました。そして神の国は、誰もがパンを分かち合うことが出来た小さなガリラヤの村の共同キッチンに、存在したのです。 本日は、イエスが話した神の国のたとえ話の続きを読み進めたいと思います。

今日の聖書では、神の国が畑に隠された宝のようであると語られています。重要なことは、「宝」が畑にある点です。それは一般的に理解しやすい事柄だからなのです。毎日人々は、その畑のそばを通り過ぎていきます。幾人かの人々はおそらくすでに宝を目にしていたことでしょう! なぜなら宝はその畑にあったのですから。

この人が、誰かの所有地に宝が埋められるのを発見したか、あるいは価値ある何かを見つけるために金属探知機を持ってきたかなどと想像しない限り、宝が常にその畑の上にあったと想像することの方が合理的です。しかし、人々はそれに気がつかなかったか、それが宝であることを認識しなかったのです。

このように、それが地面の下に、または、茂みの後にあったのではなく、宝は畑に隠されていました。それは、隠されていたのです。なぜなら人々はその宝の価値を知らなかったからであり、人々はその宝に注意を払わなかったからです。

もし私が市場でこの絵を見つけたらどうでしょうか。

 

誰かが通りでこの絵を私に売ろうとするならば、私はこの絵にびた一文も払わないでしょう。しかし、もし私がこの絵の本当の価値を知っていたならば、私はATMに走っていき、すべてのお金を預金口座から引き出して、この絵を買うでしょう。なぜならこの絵は、1億4000万ドル以上の価値があるジャクソン・ポラックの有名な絵の1つだからです!

また、この野球のカードを、礼拝堂で偶然に発見したとするならば、私はおそらくそれをゴミ箱に捨てるでしょう。

 

なぜならわたしはこのカードが、実は2006年に210万ドルもの高価な値で売られたということを知らなかったのですから!このたとえ話において重要なことは、隠された宝は、私たちの日常生活で誰でも目にすることが出来た場所にあったということです。しかし、ただ一人、その価値を知っていた人だけが、それを宝として得ることが出来たのです。

このたとえ話の中で、宝がどこにあったのか、またはその人が宝をどうやって見つけたのかという事柄が大切なのではありません。イエスは、この人がどこで、またはどうやってこの宝を見つけたのかということに全く興味を示していません。そしてイエスは、この人がこの宝を投資して幾らの利益を得ることになったのかということにも興味を持っていません。イエスが賢い投資方法について話を集中させたかったのであれば、イエスは、その人がどうやって投資から利益を得たのかということに言及しなければなりませんでした。

このたとえ話の焦点は、宝が隠されていた畑にもおかれていません。

このたとえ話の焦点は、宝を偶然に見つけたこの人のとった行動であると私は思うのです。この人は、この畑に何か価値あるものがあると分かったときに、それがその人の人生にとって、最高のものであると認識したのです。その宝を手にするために、その人は所有するすべてのものを売って、その畑全部を購入するために全財産を投資したのです。

わたしたちは、予想外に宝を見つける人になり得ます。けれども、全ての人がこの人のように、彼だけに見えていたその宝のために全てを投げ打つ人にはなれないでしょう。

私にとって、グラント・エレメンタリー・スクールとセント・ジェームズパークで行うcom(e)passion ミニストリーは同じです。予想していなかった宝を畑で見つけるようなものなのです。

昨年11月11日に、山本一牧師、Atonと私は、オフィスに座り、私たちの熱い思い(passion)について討議しました。

私たちの会話の間に3人は相通じる一つの事柄を見つけました。私たちは皆コミュニティへと手を伸ばし、困っている人々の援助したいと思っているという事でした。

私たちは、教会の周囲に生きる人々がこの地域共同体(コミュニティ)で私たちの教会によって、幸せと喜びを見いだす、そんな姿を見たいと願っているのです。

その時からどのようにして私たちは私たちの持っているものを分かち合いながらコミュニティを一緒に築いていけるかについて考えてきました。そうして私たちはコミュニティの人口統計を調べました。そして、それは教会の周辺およそ2マイルに制限しました。また私たちは、地域コミュニティで社会的活動に活発に参与していた他の組織を訪問しました。

 研究の結果は私たちを驚かせました。私たちの当初の想定ではウェスレーの近くにはたくさんのアジア系アメリカ人と年配の方々が居るだろういうものでした、なぜならそれらの方々と教会で最もよくお出会いするからです。しかし、驚くべきことにたった20%のアジア系アメリカ人、そして11%の60歳を超えた方々がウェスレーの近くに住んでいるだけだったのです。そして教会から2マイルの範囲に住んでいる66%はヒスパニック・ラテン系アメリカ人だったのです。その多くは若い移住者そして、彼らの中には、低所得で複数の仕事をもつシングルペアレンツもおられるのです。

しかし、問題はこの地域の大部分のソーシャルサービス団体がヒスパニック・ラテン系アメリカ人ではなく、彼ら自身の特定の人種や集団、(日本人、中国人、イタリア人、アフリカ系アメリカ人を含む)に彼らのミッションを集中させているということです。そして、彼らのプログラムの恩恵を受けているのは主にシニアとホームレスなのです。私たちはリサーチの後、若い低所得のヒスパニック・ラテン系アメリカ人と一般的なホームレスの人々のお手伝いをする事に私たちは決めました。そのようにして、グラントスクールのリーディング・プログラムとセント・ジェームズパークのピクニックミニストリーが始まったのです。

グラント・エレメンタリースクールはウェスレー教会からほんの4ブロック離れているだけです。84%の生徒がヒスパニック系という学校です。創立は104年前、ちなみにウェスレーは117年前です。実に、この1世紀の間、これらの2つの組織は並んで日本町の中に存在したのです。しかしグラントとウェスレーは関係を持ちませんでした。この100年の間、教会の誰もグラントスクールが私たちの宣教の範囲でありえると思いませんでした。宝はフィールド(畑)に文字通り隠されていたのです。

今年の2月に私はAtonさんとRoyさんと共に初めて校長のPaulette Zades先生に彼女のオフィスでお会いしました。この最初のミーティングで私たちは彼女の生徒に対する情熱を感じ、またウェスレーからの援助の申し出好意的である事を知りました。私たちの当初の計画は文具を提供するか、学校にクリスマス・ギフト・バッグを送るという事でした、しかし、校長は1歩先を望み、放課後のリーディングプログラムのボランティアができないかと尋ねられました。それは私たちにとって少し背伸びをするような事でしたが、しかし、私たちは信仰をもって飛び込むことに決めました。

 そして、後の話はご存じでしょう、3月から私たちは毎週月、水、木曜日の放課後に本を読むプログラムを担うボランティアを派遣しています。また月に一度の彼らのコミュニティイベントも手伝っています。この夏の間、グラントスクールは私たちの援助を受けて、初めて毎週月曜と水曜日に20〜30人の生徒の夏のリーディングプログラムを提供することができました。今までに、ウェスレー教会からリーディングプログラムに24名、コミュニティーイベントに42名のボランティアを送ることができました。

それだけではなく、この2週間の間に私たちはグラントのためにコピー用紙を集める取り組みをしました。結果、270リーム、27ケースが集まりました!また、エンダウメントファンド委員会は財政的困難のために科学キャンプに行くことができない5年生の生徒に奨学金を提供するための議論を始めました。

グラントの生徒たちが私たちのコミュニティの隠された宝であるということを今、知っているので、ウェスレー教会はグラントのために時間と資源を注いでいます。私たちは、今この地上で神の国を実現しようとしているのです

 セントジェームスパーク ミニストリーも同じです。山本一牧師が後でシェアしてくれますが、私は人々の人生に確かに何かしらの違いを生み出すんだということを言いたいのです。

 既にブライアンの話は以前話しました。ブライアンはホームレスでしたが、私たちは彼と昨年パークで出会いました。ウェスレーの仲間の助けを得て、彼は今ホームレス状態を脱し、完全に自立をしています。彼はフルタイムの仕事をBoston marketでしており、フレズノのpharmacy tech schoolの一年目を丁度終えたところです。

 そして、昨年アパートから追い出されたシンディの家族のお話も聞かれたことでしょう。私たちは彼女と家族のお世話をしてきましたが、今彼女は自分達の住まいを見つけ、バーガーキングの仕事も持つことができました。

そして2週間前、キース牧師が皆さんともう一人のホームレスの男性の話をシェアしてくれました。私たちはパークで彼と出会いました。彼の名前はテッドです。彼はUCLAを卒業しましたが、一年以上ホームレスをしています。彼は今私達のケアを受けており、彼はすぐに仕事と住む場所を見つけ、自立した歩みを始められると思います。

これら全てのことが起こったのも、究極的な宣教の価値を、教会の目覚しい成長にではなく、「人間」に置いてきたからです。

私たちは、グラントで出会う一人ひとりの子ども達やパークで出会うホームレスの方々は、神の眼から見た最高に価値のあるもの、隠された宝だと信じるのです。彼らが神さまの願いに叶った人生を完全に生きるようになるまで、彼らと共に歩む私達の歩みは続くでしょう。

私たちが追い求める最高の価値を持つもの、宝というものがあります。あなたにとっては何でしょうか?全てのものをなげうってもほしいと思う物はなんでしょう?それを見た時に、本当に欲しいと思う何かがありますか?あなたの人生で最高の価値をもつものに全てを捧げたいという思いを持っていますか?

あなたの人生において、どんな宝をあなたが追い求めるにしろ、私はもう一つの宝をあなたのリストの中に加えてほしいと願います。それはコンパッション(苦しむ心に寄り添う事)です。そして、あなたのそのコンパッションの心をグラントの子ども達やセントジェームスパークの仲間、またあなたが毎日出会う人々に向けてください。

私たちはサンノゼの全ての問題を解決することはできないかもしれません。しかし私たちは一つの学校を助ける事ができます。また一人のホームレスの人生を変えることができます。このことが神の国の実現、そしてウェスレーの未来に繋がると思うのです。そして、あなたがその一部を担ってくださる事を心から願っています。 アーメン