2015年 7月19日「持っている物は小さくても」

7月19日 主日礼拝説教要旨
「持っている物は小さくても」山本一牧師
ルカによる福音書9章10−17節


●グランドキャニオンを展望できるハーミットレストというポイントに「神に向かって歌え、御名を誉め歌え」(詩編68)と記されたプレートを見つけました。

 

多くの方がこの広大な自然をみて心打たれ、人の力を超えた神の力を讃美してきたのでしょう。

またラスベガスにある唯一の日本人教会を訪ね、13年前の開拓時には2人だった教会も今は30名程になっていると聞きました。
「奇跡」という言葉は「人間の力や自然法則を超えた事」と定義されますが、そのような力を様々感じて旅から戻って参りました。
私たちは日々、もっと色んな事ができるようにと力を求めます。しかし使徒パウロは「神の力は弱さのなかでこそ十分に発揮される、私は弱さを誇ろう」と言いました。彼は自分が弱く小さく思える時は絶望の時なのではなく、人の力を超えた神の力「奇跡」を知るチャンスだと言っているのです。
●今日の聖書のお話しは、「パンの奇跡」と呼ばれるお話です。この話は四福音書全てに記されています。それだけこのお話が大切であったという事を意味します。内容はイエスが5つのパンと2匹の魚しかもっていない弟子達にそれを配らせると、5000人以上の群衆が満足したという話です。更に驚きは「残ったパンの屑を集めると12かごにもなった」つまり、パンが増えてしまったというのです。
少し信じがたいお話あり、この話はこれまで様々な解釈や説明がされてきました。
「皆、実はお弁当を持っていてそれを出し合ったのだ」とか、また「このパンと魚は大きな魚とパンで、それを少しずつでも皆で分けあおうとした時に皆の心が満たされたのだ」という具合です。
私はそのような説明を聞くたびに何か、腑に落ちない思いにされるのです。そこにもはや奇跡は無く、「この物語を語り伝え た人達が感じていたであろう感動や喜び」が欠けているように思うのです。自分達の持っている小さな物を「イエス様が増やしてくださった」という喜び。またこんな能力しかないものなのに、こんな大きな実り、結果が与えられた「人間の力ではないなぁ」という驚き。このお話しにはそのような主に対する感謝や感動が込められているように思うです。確かに、今の世の中にあって、パンが増えるという事はまず無いでしょう。けれどもなお、私たちは「これは、私の力ではないなぁ、神様、イエス様の力が働いたんだ」と感じる出来事や光景に遭遇するのではないでしょうか?そのように本当に人間の力を超えた出来事「奇跡」があると多くの人が共感をしたからこそ、このお話が四つの福音書全てに残され、今も愛されているのだと思うのです。


●今日の話で、弟子達は自分の持っているものを確かめました。「私には無理です。これだけしかないんです」。そのように自分の持っている物の小ささを知らされました。それは無力さを痛感することであり、辛い事です。しかし、そのようにして自分の持っている物が小さいという事を思い知ったその時にこそ、主の奇跡を知るのだと聖書は告げているのではないでしょうか?


●A.アインシュタインは次のような言葉を残しています。
私たちの生き方には二通りしかない。
奇跡な ど全く起こらないかのように生きるか、
全てが奇跡であるかのように生きるかだ


アインシュタインは同じ人生でも、全く違う生き方があるのだということを教えています。
私自身、この度の旅行で米国にある広大な自然、様々な人に触れ、自分の小ささを思うと同時に、自分が奇跡とは思わずに何の感動もなく過ぎ去っていることが沢山あるのではないかと思い直させられました。 今日ここに生きていること、これだけの仲間が与えられているということ、一つ一つの事柄が、驚くべき神の御業、奇跡であることをご一緒に覚えたいと思います。