2015年 6月28日 「つまずきの世で恵みを知る」

6月28日 主日礼拝礼拝説教要旨
「つまずきの世で恵みを知る」山本一牧師
マルコによる福音書6章1−6節


●先週のキッズキャンプでヘイワードにある野生動物を保護する施設に行きました。「生き物に必要なものは何か」というインストラクターの問いに、ある少女が「グレイス(神の恵み)」と答え、予想外の答えに皆驚きました。
確かに水や食べ物も必要ですが、それら全てが「神様からの恵み」と受け止め感謝する事こそが大切やなぁ、と思い感心しました。
信仰は時に子どもから教えられます。なぜなら大人になるにつれ知識を得、目に見えない物を信じて生きるという生き方に、大きな「つまずき」が生じてくるからです。今日の福音書には人々が「イエス様」につまずいたという話がでてまいります。
●イエス様が故郷ナザレの会堂で教えられた時、人々は「この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」と驚きました。ただ続く箇所を見ると、人々は同時に「イエスにつまずいた」とあるのです。彼らはこう言いました。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ・・・の兄弟ではないか」。原文ではイエスは「あの大工」ではないか、また「あのマリアの息子」ではないかとなっています。所詮あの大工で、あの決して良い家柄でも、裕福でもないマリアの息子だろう。そんな風に考えイエスさまが神の愛と力をもたらす救い主だと認めることが出来なかった。その事を聖書は「つまずき」と表現しているのです。聖書で語られる最大の「つまずき」というのがこの「イエスを神の子、救い主と認められない」という事なのです。そして、「そこでは、ごくわずかしか奇跡を行う事ができなかった」とあります。これは裏を返せばイエス様こそが神さまから送られた救い主であると信じるところに、本当に不思議な出来事が起こるのだということを告げているのです。 ●福音書をよく読むと実はイエス様につまずいたのは故郷のナザレの人だけではないのです。「あなたがたは皆わたしにつまずく」(マルコ14:27)とイエスが弟子達に言っており、その言葉通りにイエスが捕まり十字架に架かる事になった時、弟子達も皆信じられなくなり、逃げ出したのです。
大工の子、十字架で無力にも殺された人に神の力が働いており、それが神の子だったと気付くのは当時から今に至るまで難しいという事を示しているのです。けれども「信じない者にとっては、つまずきの石だが、信じる者にとってはかけがいのない救いの石、最も重要な要石となる」(ペトロの手紙一)。とあるように、信じるならイエスは人生を豊かにする存在となると聖書は告げているのです。
●科学が進歩し様々な不思議な事が解明されている現代、また当たり前のように様々な恵みを享受できる世にあって、どうしたら神の恵みを知る事ができるのでしょうか。
私の大好きな本の一つにレイチェル・カーソンの「センスオブワンダー」という本があります。その中にこのような言葉があります。

「私の願いは世界中の子どもに、生涯消えることのない「センスオブワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)を授けて欲しい」と言う言葉です。彼女は、人間を超えた存在を知り、驚きや不思議さを子どものように生き生きと新鮮に受け取る感性があるなら、きっと素晴らしい人生になると伝えているのです。そして、その感性は大人に持っても持つことができるのだと宣言しているのです。
彼女は子どもと一緒に雨の森に出かけよう!と勧めます。そこで人の力を超えたものに気付くだろうと言います。センスオブワンダーは時に子どもと一緒に養う事ができるのです。躓きの多い世の中だからこそ、素晴らしい感性をもった子ども達と共に、これからも聖書を読み、歩んで参りましょう。神の力がこの世に注がれている。そんな素敵な発見が沢山ありますように。