2015年 5月31日 「霊によって生まれる」

5月31日 主日礼拝礼拝説教要旨
「霊によって生まれる」山本一牧師
ヨハネによる福音書3章1−12節


●私たちの幸せとはどこにあるのでしょうか?全て自分の思い通りにできたり、人生が思い描いた通りに進んだりという事に必ずしも幸せがあるわけではない。経済・社会・健康面で恵まれていても、何だか満たされないという事もあるように思います。今日の福音書に登場した「ニコデモ」もそういう人だったように思います。
●ニコデモがイエスの元にやってきたのは「夜」でした。彼はイエスに敵対するユダヤ教のファリサイ派の議員でした。ですから立場上、大っぴらにはイエスの元に来ることができなかったのです。そんな彼が「あなたは神の元から来られた教師です。神が共にいるのでなければそのようなしるし(不思議なわざ)を行うことができない」と、最高の褒め言葉をイエスに述べています。この言葉からも彼がユダヤの議員、指導者という恵まれた立場にありながら満足しておらず、葛藤を抱えていたという事がわかります。逆に彼はイエスさまが貧しい人や弱い人々を励まし時に癒し、共に生き生きと生きているそんな姿に感動し、教えを乞いに来たのでしょう。
そんなニコデモにイエスさまは「人は新たに生まれなければ、神の国に入ることはできない」と言われました。これは預言者エゼキエルが述べている事(36章25節)で、体や肉の命の事ではなく神の霊による新しい命を意味していました。また続けて「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」と言われました。ここにイエスさまからニコデモへの深いメッセージがあるのです。 聖書では「霊」という言葉は「風」という言葉と全く同じ言葉が使われています。日本の東北の方言ケセン語訳の聖書(山浦玄嗣さん)はこの霊という語を「神様の思いを乗せた風」と訳し、「その風の声をあなたは聞いているが、わかっていない」と訳しています。
イエスさまは、ニコデモが当時のユダヤ社会で様々な事柄に縛られているのに気付かれたのかもしれません。恵まれた立場や環境にありながらも、何か不安を抱えてイエスの基にやって来たそのニコデモの心に吹いている神の風を感じられたのでしょう。今その声に従い、そのままの体で自由に、イエスのように人を愛し生きていく新しい命に生きなさいと勧められたのです。
●以前クリスチャンではない若者がこんな事を話してくれました。「私は信仰は無いけれど、ミッションスクールの先生の言葉を良く覚えている。『初めて悪い事をしようとする時、心がざわつくでしょう。それは神様がそんな事してはダメだと言ってくれているんだ。しかし、人は慣れると平気でその事ができるようになり、心が荒んでいくんだ』そう先生は私に教えてくれた」。
「何でも自由にする」ことが幸せに繋がるわけではない。いくらお金や地位や権力があり、何でも自分の思い通りにできたとしても幸せにはなれない。人の心には人を幸せに導くか細い声が届いている。その神の声に耳を済まし、その声に従って歩もうとする時に、新しい「霊による命」に生きることができ、神の国と呼べる幸せがあるのだという事を教えられます。
今、主を求めて教会に集ってくる私たちもまた、神の思いを載せた風を感じている一人ひとりです。今週それぞれに、心の内に宿る霊のささやきに耳を傾け、それに委ねて一歩を踏み出してまいりましょう。