2015年 6月21日 「信仰は振興から」

6月14日 主日礼拝礼拝説教要旨
「信仰は振興から」山本一牧師
マルコによる福音書 章1−16節


●服部祥子さん(現頌栄短期大学長)は人生を「船出」に譬えられました。様々な事が渦巻く海に漕ぎ出していくには、船がしっかりと作られなければいけないように、私たち人間も、社会という大海原に漕ぎ出すには、最初の20年がとても大切だと言われたのです。
以前、三菱造船で重量7万トンを超える船の進水式を見ました。

実は進水式をするときはまだエンジンもなく、ただの箱。そこから何度も海に浮かべては、港に戻す、事を繰り返し、大海原に負けない船に仕上げていくのだそうです。私たちの心と体も丈夫に作られるに越したことはありません。しかし、それ以上に「信仰」という事柄が船出には必要だと強く思います。
●今日の聖書はイエスと弟子達を載せた船が沖へと漕ぎ出していく様子を記しています。これは、神様を信じる人たちが不安や畏れ、貧しさや絶望などが渦巻くこの世に遣わされていく姿と重ね合わされます。
そうして船を漕ぎ出した弟子たちですが、直後に大嵐に巻き込まれてしまいます。その時の弟子達の姿は印象的です。彼らは船の最後尾で眠っていたイエスさまに対して「先生、わたしたちがおぼれても構わないのですか」と、いらだちをあらわにして呼びかけます。結局、その声にイエスさまは起き上がり、風と湖を叱りつけると嵐が治まり、「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」と弟子たちを諭されました。
●私は子供のころ「イエスさまのお弟子さんは臆病で弱虫やなぁ」と感じていました。けれども今は少し違います。誰でも長い人生の中で、本当に嵐のような出来事に遭遇した時、この弟子たちのようにうろたえ、自分をむき出しにして、叫びの声をあげてしまうのではないかと思うのです。なぜなら人生の社会の深みへと進んでいく時、私たちは必ずや想定外の悲劇や事件を経験 するからです。思いもかけない病気や失業、9人の方が教会でシューティングで命を落としたチャールストンの事件など・・・。私たちは叫ばすにはおれないのです。詩編によるとあのダビデ王も叫んだのです(13編)。
今日の聖書が勧める最も大切な事は、私たちがどんな時にも動揺しない事ではなく、いつも共にいてくださり、私たちを決して見捨てられないイエス様にどんな形でも、すがる事なのです。いわば、寝ているイエスさまをたたき起こすような全存在をかけた「祈り」が大切なのです。
●深田未来生先生が以前こんな事を仰いました。先生はある時「信仰」という言葉をパソコンでタイピングされました。すると、間違って「振興」という言葉が出てきたそうです。先生は「おお、確かに信仰とはイエスさまというお方を振るって興すことに違いない」と思った。そんなお話をしてくださいました。信仰とは、その始まりは、イエス様をゆすり起こすように祈っていくことなのです。
私自身、思春期の時に太っていました、いじめにも遭いました。神を信じ、ひたすらに祈っていました。朝に夕に、お風呂でトイレで「どうかあの自分を殴ってくる人にあいませんように」。熱心に祈った翌日、その嫌な人に会い、パンチが飛んできました。しかし、祈り続けました。「神さまどうしてですか、私は悪くないでしょ!」。今思うと、そうやって祈っていくうちに、私の心にどんな苦しいことが起こってもそれを乗り越えさえてくれる「信仰(神様への信頼)」が育っていたという事を思います。私たち人間は生涯を通してこのように「信仰」を養っていくのだと思います。
●この世、また人生は嵐の渦巻く大海原です。苦しみや課題が多いこの世の中で、大いに祈り、イエスさまに起きていただき、そこに必ずや示される人の力を超えた不思議な業に触れ、神様に讃美をささげ、感謝してまいりましょう。