2015年 4月5日 「終わりが始まりに」

4月5日 イースター礼拝礼拝説教要旨
「終わりが始まりに」山本一牧師
ルカによる福音書24章1−12節


●この季節桜を見ると日本の「春」を思い出します。出会いと別れの季節、新しい門出の季節。不安と期待が混在するような、そんな気持ちを思い起こしまます。

昨年、104歳で亡くなられたまどみちおさんの詩に「さくらのはなびら」という詩があります。

えだを はなれて ひとひら
さくらの はなびらが じめんにたどりついた
いまおわったのだ そしてはじまったのだ
ひとつのことが さくらにとって
いや ちきゅうにとって うちゅうにとって
あたりまえすぎる ひとつのことが
かけがえのない ひとつのことが

数え切れない桜の花びらの一枚をいとおしく見つめるまどさんの眼差しは素敵で人の心を温めます。今の時代、私たちもこのような眼差しを求めているように思います。そして何より素敵だなぁと思うのは、一つの花びらが地に落ちたのを見て、 「いまおわったのだ そしてはじまったのだ」 と言ったこの言葉と感性です。

●今日はイースターです。キリストの復活をお祝いする日です。イエスさまが十字架の上で殺され、墓に葬られ、その後に復活したというこの出来事は、「死」で終わらない世界があるんだ、という事を示しています。これは、私たちに色んな意味で、大きな希望を与えているのだと思います。今日の福音書をみてみましょう。

●イエスの死後3日目、婦人たちがイエスの葬られた墓を訪れたが、そこにイエスの遺体はなく、途方に暮れていた。そこに二人の輝く衣を着た存在が現れ言うのです。「なぜ、生きておられる方を死者の中にさがすのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。」
この婦人たちに語りかけられた言葉は「今、あなた方の向いている方向を変えなさい」という神さまからの呼びかけです。 あなた方は全てが終わったと思い途方に暮れているが、この終わりから、新しい出来事がはじまるのだと告げているのです。
実際に、ここから婦人たちは立ち上がり人々に告げ、そしてキリスト教が生まれ世界に広がっていったのです。時に、私たちが終わりだと思って嘆き、悲しみ、涙を流すその出来事に、神様は新しい始まりを用意されるのです。

●思えばこの4月慣れた土地を離れ、新しい生活がスタートする人もあります。本当に愛した土地、人と離れる、別れるのは寂しいことです。けれども、あのイエスさまに十字架の死の後に復活の命をあたえられた聖書の神様は、私たちが経験する様々な「終わり」の後、わたしたちの視野や出会いを更に広げる新しい世界を示してくださるのです。

私は桜の花を見ながら、自分が教会付属の幼稚園で働いていた時の、新入園児のことを思い起こしました。この4月、3歳の子供が、お母さんから離れられなく大泣きをしている。けれどもその子供が幼稚園という未知の世界に挑戦し、3年が経ち今度は幼稚園と別れるのが辛くて泣いている。そして小学校でまた新しい世界が開かれていく。
私たちは皆、そのように一つの終わりのあと新しい世界との出会いを示されてきたのではないでしょうか。

●あのヘレンケラーという人物は、次のような言葉を残しました。

幸福の扉の一つが閉じると、別の一つが開く。
しかし私達は、閉じた方ばかりを眺めていて、こちらに向かって開かれた、もう一つに気付かない。

イエスの墓に行った婦人たちが、愛するイエスを失い、途方に暮れていたそのなかで、神様は新しい扉を開かれたのだということに気づかされて、それを信じ、一歩、歩んでいったように、私たちもまた終わりだと思うような現実、寂しさ、孤独と絶望のなかで、神が全く想像もできない新しい扉を開いて下さることを信じで歩んでいきたいと思います。