2015年 3月22日 「人の心に残る愛」

3月22日 主日礼拝礼拝説教要旨
「人の心に残る愛」山本一牧師ヨハネによる福音書12章20節~26節


⚫使徒パウロは「愛の賛歌」(コリント一13章)で、「愛は忍耐強い情け深い…信仰と希望と愛、その三つはいつまでも残る。その最も大いなるものは愛である」と記しています。
私は22歳の頃、シニアホームで働いていましたが、忍耐が必要な場面が多く、辛く虚しい気持ちになる事もありました。そんな時、先輩職員が「愛はその人の中に必ず残るからね」と声をかけて下さいました。
まだ若い私に人のための忍耐、愛は決して無駄ではなく、誰かの中に残り続け、それは必ず実りを生み出すのだ、と教えてくださったのです。この事で心が軽くなりました。
⚫「人の心に残る愛」それを最もこの世で示されたのはイエスキリストです。イエス様は十字架に架かられる直前、自分の死を「一粒の麦」にたとえて話されました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」この例えの意味は何なのでしょう?
⚫一つは「自分に死ぬという事が、他者を生かし、自分も生かすのだ」ということです。
地に落ちて死ぬ、自分の命を憎むという事をカトリックの渡辺和子さんは「小さな死」という表現で説明しておられます。「『小さな死』とは、自分のわがままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒臭がらず、笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなどを意味し、そのような『小さな死』は命を生むのだ」と語り、アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」を紹介しておられます。「慰められるよりも、慰めることを…愛されるよりも愛することを 望ませてください。私たちは 与える ことによって与えられ すすんで赦すことによって赦され 人のために死ぬことによって永遠の命を生きることができるからです。」
⚫私たちは時に虚しくなることがあります、自分ばかり我慢している。自分を犠牲にして励んでいるけれど、誰も評価してもくれないと嘆きます。そんな私たちに聖書はあなたの蒔く小さな麦、愛の種は必ずや誰かの中にのこり、大きな実りを実らせるんだと告げています。そして同時に、あなた自身もイエス・キリストとともに生きる新しい命、深い平安に預かる命を得るのだと告げているのです。ここに一つの大きな励ましがあります
⚫ただ私たちは、いつもそのように生きられるわけではありません。時に我慢できず、わがままにもなり、笑顔も長くはもちません。そのような弱い存在でもあります。だからこそ、今日の「麦の例え」に込められたもう一つの意味を味わいたいのです。
それは、神の子であるイエス様というお方が、そんな私たちのために十字架で死に、命を捧げてくださったということです。そしてその弱く、愛にかけた私たちを、赦し、受け入れてくださったということです。本当は私たちが自分の罪のためにあの十字架にかからなければいけなかった、その身代わりとなって下さったのだとヨハネ福音書は告げているのです。イエス・キリストのその命を捧げた愛、その愛の種は全ての人間の心の中に蒔かれているのです。
⚫「愛は人の中に必ず残る」と言いましたが、このイエスが蒔いて下さった愛の種こそが、私たちにとっての最も大きな希望です。私たち自身には希望が無いかもしれない、限界があります、けれども、私たちの心にまかれたイエスさまの愛には無限の可能性があるのです。その私たちの内に確かに宿っている愛が豊かな実りを実らせる事を信じ、互いに励ましあい、祈り合ってまいりましょう。