2015年 4月12日「不思議な出会い」花岡伸明牧師

「不思議な出会い」
ルカによる福音書 24章13-35節

 先週の日曜日はイースター。教会でも、ご家庭でも、主の復活を祝われたことと存じます。そして今日からは、ペンテコステまでの6週間、毎日曜、復活の主との出会いをテーマにした礼拝が守られることになります。しかし、復活については疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。神の子なのだから不可能ってことはないだろうと言ってしまえばそれまでですが、普通、死人が生き返るというようなことはありえません。例え復活が新聞やテレビのニュースに出るような意味での事実だったとしても、それだけのことならそれはただ二千年前の不思議な出来事というだけのことでしょう。しかし主の復活とは、表面的な事実を問うだけでは済まされない、もっと深い眞實というものに触れることではないでしょうか。事実以上に大切な眞實というものがあるのではないでしょうか。
 そこで今日はルカ福音書にあるエマオでの不思議な出会いの物語りを中心に、その他の福音書にも描かれた復活物語全般について考えてみたいと思います。主の復活物語は、大きく分けて二部に分けられます。第一部は、主が十字架で亡くなられたあと、日曜日の早朝、女性の弟子たちがご遺体に油を塗るためにイエスの葬られた墓に来てみると墓は空っぽであったこと、そしてそこで、主は復活されたと告げられたというお話しです。これを普通、「空虚な墓」の物語と呼んでいます。この部分は四つの福音書とも大筋は同じで、墓に行った婦人たちの名前が、マグダラのマリア以外は少しずつ違っていることと、「主は復活されてここにはおられない」と告げたのが天使だったのか、一人の若者だったのか、二人だったのか福音書によってそれぞれ異なっていますが、大筋に変わりありません。そして第二部は、復活された主イエスが弟子たちに現れたという物語です。私はこの第二部を「出会い物語」と呼びたいと思います。ここで、話は急に多様化します。つまり、空虚な墓の語り口は比較的一様であるのに対し、出会い物語は極めて多様な個人的経験として語られています。今日のテキストも出会い物語の一つです。
 さて、今日のテキストをお浚いしてみましょう。イエスが復活された日の午後のこと、弟子たち二人がエルサレムから7マイルばかり離れたエマオという村に向かって歩いていました。恐らく、イエスに従っていた人たちは、イエスが処刑された後、それぞれ安全な場所を求めて散っていったのでしょう。一人の見知らぬ人がこの二人に近づき一緒に歩き始めたのです。そして彼は「君たちは道々何を話していたのかね」と聞きます。その二人の一人でクレオパという名の弟子が、「あなたはここ数日来エルサレムで起こっていることをご存じないのですか。数日前、私たちの先生が祭司長やユダヤ人の指導者たちに捕えられ、ローマの官憲に引き渡されて裁判を受け、ちょうど三日前十字架で処刑されたのです。私たちは、あの先生は、言葉にも行いにも優れ、偉大な預言者だと思っていましたし、この方こそエルサレムを救う方だと信じていましたのに、先生があれほどあっけなく死んでしまわれたのには驚き、失望していました。ところが今朝早く、私たちの仲間の婦人たちが墓に行ってみると、イエスのご遺体は無く、そこにいた二人の人が主は復活されてここにはおられないと告げたというので、私たちも混乱しているところです。」 そこでイエスは、メシアの死と復活について預言者たちが証していることを歩きながら説明したとあります。そうこうする内に、彼らはエマオに着き、日も暮れかかっていたので、その人にこの村で一緒に泊まってくださいと願いました。その人は彼らの願いを聞いて、村の宿に入ります。食卓についた時、その人がパンを取り、感謝してこれを裂かれる様子を見て、突然彼らの目が開かれ、それがイエスだと分かったというのです。ところがそれがイエスだと分かった瞬間に、イエスの姿は消えたというのです。不思議なお話しです。後になって、二人の弟子は、一緒に歩いた時、互いの心が燃えたではないかと語り合ったとあります。エルサレムからエマオまで7マイルとありますから、普通に歩くと3時間くらいかかります。3時間も語り合いながら一緒に歩いていたのにそれがイエスだと分からなかったというのはどういういうことでしょう。
 ここで主の復活について言えることが三つあります。第一に、復活の主は、一見してそれと分かる姿ではなかったということです。ヨハネによる福音書では、マグダラのマリアが空っぽの墓の前で泣いていたとき、イエスが現れ、マリアに語りかけたのに、マリアはその人が墓の番人だと思っていたとあります。数日後、弟子たちがガリラヤに帰って漁をしていたとき、夜明けの岸辺に立っていた人がイエスだと最初は誰も気付かなかったとあります。つまり復活のイエスは生前と同じ姿ではなく、見知らぬ人として弟子たちに現れたということです。第二に、復活のイエスは聖餐か或は信者たちの集会との関連でその姿が認められることが多かったということです。そして第三に、それがイエスだったと分かったとき、彼らはキリストの光の中で自分たちの命を見つめ、正面から向き合い、神の愛の絶対的な眞實に突き動かされ、積極的に歩み始めたということです。ですから、イエスの命が自分の魂の中の現実として自分を動かし始めたとき、復活の主はもう目の前に現れる必要がなくなったのです。「イエスだったと分かった瞬間にイエスの姿が目の前から消えた」というのはそういうことだったのではないでしょうか。復活の主が目の前の他者であるかぎり、それはただの不思議な出来事に過ぎないでしょう、しかしキリストが自分の魂の奥深い現実として内側から自分を動かし始めた時、復活の事実性・史実性などは問題でなくなってくるのです。魂の内側から働く神を聖霊と呼びます。心静かに自分を見つめることが出来るとき、私たちは目に見えない神を体験することができるのです。
 いつかお話ししたと思いますが、私の父は、長崎の佐世保に席を置く海軍将校でした。戦争が終わって三年間、通訳として台湾に残されたのですが、帰国し、放射能の影響で病気になっていた妻や長女を安全な場所に移すため、まず熊本に、そして福岡へと移りました。私が福岡の小学校に入学してすぐのころ、母がついに亡くなりました。がっかりした父は、九州を引き上げる決意をし、親戚を頼って大阪に移りました。しかし移転後すぐ長女が亡くなりました。白血病でしたから原爆のせいだと思います。父は再婚したのですが、ちょうど反抗期だった兄たちは新しい母を受け入れず、彼女は精神的に不安定になってしまいました。そんな中で、まだ幼い末っ子の私は、悲しみや怒りや不安を全て噛み殺して内に秘め、ものを言わない子になりました。近所の人達は私が聾唖者だと思っていたほどです。そんな私を心配した二番目の姉は毎週、私の手を引いて教会に連れて行きました。今でもその時の姉の手の温もりと力強さを忘れることはできません。姉は日曜学校の教師になって私のクラスを担当して聖書のお話しを一杯教えてくれ、私をしっかりと教会に結び付けてくれたのです。温かい教会の交わりの中で、私はだんだんと心を開くようになり、16歳のイースターの日に洗礼を受けました。
 私は、復活のイエスが見知らぬ人としてエマオまで弟子たちと共に歩いたというこの記事を読む度に、毎週私の手を引いて教会に連れて行ってくれた姉を思い出すのです。家では新しい母と兄たちがいつもいがみ合っており、全然憩いの場ではありませんでした。反抗することのできない私は母や姉を失った悲しみを押し殺して一人で泣いていました。その上、自分も母や姉のように近いうちに放射能のせいで死ぬに違いないと思い込んでいましたから、幼い私にとって人生は闇でした。しかし、姉の手が私に生きる勇気を与えたのです。思えば、それ以後も、人生の節目節目に不思議な出会いがありました。そういう出会いを通して、私の心が癒され、神の赦しを信じてもう一度やり直そうという気持になったりしました。そういうふうにしてキリストの愛が私にはだんだんと生きた現実になっていきました。絶望しかけた時にも、希望をもって行きなさいと励まして下さるキリストの現実が私にもリアルなものになっていったのです。そのキリストは、時には教師として、時には友人として、私に生きる勇気を与え続けてくださったのです。姉の手はもう私の手を握ってはいません。しかし、姉の手を通して感じたあのリアルな力は私の内側から今も働いているのです。私たちがそれと気付こうが気付くまいが、私たちは私たちよりずっと大きな存在の愛と恵みと赦しにしっかりと掴まれているのです。それをはっきりとキリストと気付くとき、それが復活信仰になるのではないでしょうか。正直言って、私にとって大切なことは、死んだはずのイエスが生き返ったかどうかということより、愛と赦しと癒しの大きな力が今ここで働いているということなのです。
 私たち自身のエマオ途上で起こる様々な出会いを振り返ると、そこにキリストを見ることがあります。そうやって主は私たちを諭し、私たちを赦し、私たちを癒してくださるのです。そして、そのキリストは私を助けたあと、お前も他の人に手を差し伸べなさい、そうして私がお前に与えた愛を他の人に分かちなさいと言っておられます。死んでも、死んでも、生き続けるものが一つあります。それは神の愛です。その大きな力に身を委ねる時、臆病な自分にも、自分の命から逃げないで向き合う勇気が与えられ、周りの人々をも愛する力が与えられるのです。そうして、あの二人の弟子はエルサレムに帰って行き、「主は活きておられる、私たちは主を見た」と証ししたのです。