2015年 3月1日 「苦難を通して与えられるもの」

3月1日 主日礼拝説教要旨

「苦難を通して与えられるもの」山本一牧師

マルコによる福音書 8章 27節~30

●あるアンケートで「最もストレスを感じるもの」と「最も癒されるもの」について尋ねたところ、ストレスを感じるのは「人間関係」で、癒しを与えられるのは「家族」となったそうです。共に「人間」なのは面白い。

街で出会うホームレスの方々は一度人間関係が断たれた方が多いですが、話をしてみると本当は人を求めている方が多いのです。日本ではそんな方々が再び人間関係を作っていくための支援をしていました。そこで、苦悩し、衝突しながらも何とか共に歩もうとする時に「許しあい、愛しあう関係」や人間的成長が与えられるという事を教えられました。

人間関係のみならず、人には避けられない苦難や試練があるように思います。けれども、そこを乗り越えて得られるものは、とても大切なものだと感じるのです。

●神様がモーセによってイスラエル民族をエジプトから約束の土地へ導き出したという話は有名ですが、聖書には彼らは約束の土地に入るのには40年もかかったと記されています。「あなたの神主はあなたを良い土地に導きいれようとしておられる」とありますが、彼らは何も無い荒れ野の苦難を通して、神へのつながりが深められ、約束の土地、豊かな命へと導かれたと聖書は告げているのです。

今日の福音書はイエスさまご自身が十字架で死に復活するという苦難と復活を予告された場面になっています。その様の受難の告知を聞いた弟子のペトロはイエスを脇につれていきいさめたというのです。それに対してイエスさまは「サタン、引き下がれ」と逆にペトロをしかりつけられるのです。ここにはどのような意味があるのでしょうか。

この8章以降、イエス様は十字架に向かう受難の道のりを進められます。本当ならば、

イエス様は多くのイエスを慕う人たちとだけ接して、共にこの世の楽しみや栄光を横臥する事もできたでしょう。しかしそのような道を選ばず、むしろ自分を憎む人と向きあい、十字架の死に至るまで、どこまでも人を愛し赦す、受難の道を歩み抜かれたのです。そしてその果てに「復活」という新しい命を与えられたのだと聖書は告げているのです。35節に「自分の命を救いたいと思うものはそれを失うが、私のために命を失うものはそれを救う」とありますが、イエスさまは、自分の身を失うような苦難を通して与えられる新しい命があるんだという事を示されたのです。

●今の時代「苦しみがなくなる」と勧める宗教思想が流行っています。けれども、聖書の思想は少し違い、この世の厳しさ、苦難から目を背けず、その只中で愛の花を咲かせていくことへと導かれているのです。

残念ながらクリスチャンになったら、教会にきたら、痛みや苦しみが無くなるというわけではありません。けれどもその苦難の道を共に歩んでくださる方があるのだと聖書は告げているのです。イエスさまは「サタン引き下がれ!」とペトロに言われましたがこの言葉は「私の後ろにつけ」という意味の言葉だと言われます。また「後に従いなさい」ともありますつまりこの世の苦難の中を私が先頭に立って生きていくという宣言なのです。

●私達には「避けて通る事のできない苦しみ」があります。人間関係だけでなく苦難が次から次へとおこってきます。けれども、その歩みの先頭に立ってイエスさまが歩んでいてくださり、その先にある新しい命へと導いてくださる。この事を信じる事こそが大きな恵みなのです。

 チューリップは厳しい寒さを経験して奇麗な花が咲くそうです。私たち人間も同じ。苦難を主と共に味わい、成熟した命に預かりましょう。