2015年12月20日「救い主は飼い葉おけの中に」

12月20日 クリスマス礼拝説教要旨
「救い主は飼い葉おけに」 山本 一牧師
ルカによる福音書2章1−7節


●私たちが持っている「クリスマス」の一般的なイメージというのは、清らかでファンタジックなものです。しかし世界で最初のクリスマスの出来事は、汚く臭く、とても現実的なものだったのです。ルカはその誕生の様子を簡潔に記しています。
当時世界を支配していたローマ帝国の皇帝アウグストゥスが全ての民に住民登録をせよ命令しました。国の力を正確に知り税金や兵士を確実に集めるためです。誰もその絶対的な皇帝の権力に抵抗する事はできない。そのような中で、まだ若く、身重のマリアとその夫ヨセフもまた120キロ離れたベツレヘムへの旅を強いられたのです。「宿屋には止まる場所かった」、「赤ちゃんを飼い葉おけに寝かせた」という言葉は過酷な現実を物語っています。「飼い葉おけ」があったというのですから、おそらく家畜のいる場所だったのでしょう。
●この度私はイエス様の誕生のリアリティを味わうため、礼拝堂に飼い葉おけを再現しようと思いました。そして本物の飼い葉おけとワラを探しにサラトガのある農場に行って来ました。しかしそこには沢山の馬小屋があったのですが、ワラも飼い葉おけもないのです。どうやら今はワラの代わりに干草やウッドチップを使い、また飼い葉おけの変わりに「飼い葉ネット」を使っているようでした。今は昔と随分違っているようです。しかし変わらないのは「馬小屋の匂い」だと思いました。家畜の糞尿、干草、土が混ざった匂い、それをかいで、こんな臭いところに天地万物を造られた神さまご自身が、人となられて来られたのだという事を、しみじみと思い巡らす事ができました。イエスさまは清潔で設備の整った病院でも家族親戚のいる温かな家に生まれたのでもないのです。家畜の臭いで満ちて いるような場所に生まれられたというのです。この飼い葉おけのイエスさまは何を教えているのでしょうか?それは、神様というお方は天上ではなく、厳しい世の現実のただ中におられるという事の証なのです。


●「匂い」は人間の記憶との結びつきが強いといわれますが、わたしは、この馬小屋の匂いをかいで色々と思い出しました。日本の大水害の被害にあった兵庫県佐用町の民家の庭で全滅した「鶏小屋」の掃除をした事。家の方は悲しみ、途方に暮れて何も手につかない、その家の方かわって、教会の若者たち数名で、息を止めつつ交代で丸一日がかりで掃除をしたのを思いだしました。また、東日本大震災の津波の被害にあった畑の泥かき。また、孤独死をされた元ホームレスの方の部屋の後片付けと掃除に毎日通った事。私はそのような現実の絶望と思えるその状況にあってかいだ匂いと、その光景を思い起こしたのです。そして今、思うのです。イエス様はそのような最も過酷な場所に共にいてくださるのだということを。それは実際に匂いのするような場所にだけではなく、このベイエリアの厳しい労働環境。日本からの駐在で来られる方々の家族の孤独や苦労、高齢者の介護の厳しい現実。厳しい家庭環境。この社会の大きな力に飲み込まれ、虐げられ不幸を見に負っている。そのような人の元に神様は確かに慰めと励ましを持って共にいてくださるのです。
●私はまた、この匂いから同時にそのような過酷な場所にある人と人の間に励まし、祈り、思い合う心がいつもあったのを思い起こしました。不思議と力と希望が与えられていました。それは、そこにいる一人一人にイエス様が臨んでおられたからだと気付いたのです。このクリスマスご一緒に、また厳しい現実のただ中に出て行きましょう。そこで共に喜び共に泣く私たちの内にイエス様がいてくださるのです。