2015年12月6日「主は我らと共にある-インマヌエル-」

12月6日 主日礼拝礼拝説教要旨
「主は我らと共にある(インマヌエル)」山本一牧師
ルカによる福音書1章67−79節


●讃美歌「久しくまちにし」の元のラテン語の題名は「VENI VENI EMMANUEL=来たれ来たれインマヌエル」というタイトルです。
この「インマヌエル」とは、元々ヘブライ語で「神は私たちと共にいる」という意味の言葉です。そしてこの「神は私たちと共にいる」という事の最も大きな証があのイエス・キリストがこの世に来られたクリスマスの出来事なのだと聖書は伝えているのです。そして、この「インマヌエル=神は私たちと共に居る」は古くからユダヤの民が待ち望んできた希望なのです。
●今日の福音書はザカリアの讃美です。ザカリアは祭司の一人でしたが、年老いて天使のお告げを受けて、妻に子どもを授かります。ただ彼は天使の言葉を疑ったため子どもの誕生まで口がきけなくなる、その子ども(洗礼者ヨハネ)の誕生の後、口が開け歌った歌がここに記されています。この歌は子どもが与えられたという喜びだけでなく、その子が救い主の道を備えるものとなり、ついにこの世に待ちに待った救い主が来られるということを喜ぶ歌なのです。
このザカリアの歌の構成はキアスムス(交際配列)という形になっており、一番最初に出てくるある言葉が一番最後に出てくる。そして二番目に出てきたある言葉が最後から二番目に・・・という具合に、前と後ろから同じ言葉が対となって出てくるという技法が使われているのです。そして、この歌の頂点は72,73節だと分かるのです。
そこには「主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていて下さる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い」と記されています。先祖に立てられた誓いとは「私はあなたとあなたの子孫の神となる」(創世記17章など)という約束で他の箇所では「わたしはあなたと共にいる。(インマヌエル)」(創世記28章)という言葉で表されているのです。 つまり人々を救い、人々と共に生きてくださる救い主の誕生への感謝と喜びがこの讃美の中心なのです。
●実際に、イエス様はこの世の最も貧しい場所に生まれ、苦しむ者たちの苦しみを共に苦しみ、病む人を癒し、喜ぶものと共に喜び、愛と柔和の心をその生涯を通して示されました。このイエス様と共に居た人たちの多くが、実際に「神は私と共にいてくださる」という思いを抱いたのです。
しかし、イエス様というお方が目に見えておられた時代は良いとして、今の世の中はどうなのでしょう。「神が私と共に居てくださる」と人はどこで感じる事ができるのでしょうか?
●今日は当教会で40数年共に歩んでこられた穂井田夫妻が引っ越される前の最後の礼拝です。私が穂井田さんから頂いた手紙は100ページ以上です。これを見ると穂井田さんが困難を覚えておられる時に一人ひとり、名前を挙げ、その方々がしてくださった事を書いておられました。歴代の牧師の名前もありました。皆さんが穂井田さんご夫妻を愛し、折々に祈り、支え、また穂井田さんも皆さんを愛し支えてこられたのだと気づきました。悲しみを共に悲しみ、喜びを共に喜ぶそのイエスキリストの姿を私はこの交わりの中に見いだしたのです。
●2千年前、イエスキリストと出会った人はこのイエスさまに神の存在を感じることができました。今は目には見えないけれども、互いに思い、祈り合う交わりの中に神の存在を見る事ができると思うのです。
愛する仲間が旅立ちますが、今日の聖書ザカリアの歌、また神の約束の言葉にあるように。どこに行こうと「私はあなたたちの神となる。私はあなたと共にいる。(インマヌエル)」と神様は約束してくださる事を覚えたいと思います。そしてご夫妻が新しい土地で、よい交わりの中で「神さまの愛」存在を感じて歩む事ができるようにと祈りたいと思います。