2015年11月22日 「愛と感謝の連鎖」 山本 一牧師

11月22日 主日礼拝説教要旨
「愛と感謝の連鎖」山本一牧師
ヨハネによる福音書15章11−17節


●メキシコのミッショントリップでは行く側も、受け入れる側も互いに感謝をもって仕え合う良い関係が育まれていました。現地のリーダーが「私たちの感謝のサークル(連鎖)は決して終わりません」。と述べられました。「感謝の連鎖」とは良い言葉です。
しかし同時期にフランスで大きなテロが発生し、それに伴う報復の空爆が始まった事を知りました。そこにあるのは「憎しみの連鎖」です。ある報道によると、テロリストの中には貧しさと恨みからメンバーに入ってい人も多いといいます。「貧しさと社会への恨み」それは世界中でこのテロ組織に加入しようとする人が絶えない要因です。それを思うともはや単に一部の過激な宗教集団の問題だけではなく「極度の貧困や、行き過ぎた資本主義、愛に欠けたこの世の社会システム」の問題とも言えるのです。
身近なところにも「憎しみの連鎖」はあります。往々にして相手の表面的な苛立ちの言葉に反応し、みずからも苛立ち悪の思いを返す。そうしてまた相手が悪を、という悪の連鎖反応を私たちも多く経験します。なぜなら今のこの社会で私たち人間は皆、弱く、愛に飢え、人々の無理解と誤解に囲まれているからです。そして「悪」に負け、本当の幸せや自由を得ることができないのです。
●このような悪への連鎖を断ち切り、善を持って悪に勝ち抜いた人がイエス・キリストだと聖書はつげています。イエスさまは、当時の権力者たちの妬みを買い、恨みを抱かれ、十字架にかけられました。本当なら、全く理不尽な仕打ちに対して、怒りと憎しみで返しても良いところを徹底して悪に対して、愛で答えられたのです。神様がこの世にくださった最も良いものはイエスさまを通して示された「愛」なのです。

 ●ヨハネ福音書15章の前半には、イエスさまが私に(私の愛に)繋がっていなさい。そうすればあなた方は良い実を豊かに結ぶ。と繰り返して言われたと記されています。そして今日の11節には「これらのことを話したのは・・・あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」と語られました。イエス様は、人間がこの世で本当に幸せになるための掟とは「愛し合うこと」であり、それをわが身を捧げて示してくださり、あなたがたも行ってその愛の実りを実らせなさい。 と、そのように仰ったのです。
ただ、今の現実社会で「愛」が何の力をもつのか、愛でテロに勝つことはできないという声もあります。しかし、私たちは今一度この「愛」というものの持つ力を信じたいのです。
●この度のテロで愛する妻を亡くされた仏人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんはこの度テロリストへのメッセージを述べられました。そこには「君たちを憎むつもりはない」と言うこと、また「私と一歳半の息子と共に憎しみに支配される事なく自由に幸せに生きる。きみたちは憎しみを勝ち取る事はできない。君たちの負けだ」。とつづられていました。
この中にはテロリストを「愛する」という言葉こそ出てきませんが、私はここに「憎しみの連鎖を止める愛」見ました。そして報復の空爆ではなく、本当の自由と勝利がここにあることを感じ、またイエスキリストがこの世で示された愛を感じたのです。 今、たった一人のわずかなこのメッセージが、愛が、多くの人の心を温め、憎しみの連鎖を止めるその働きをしているのです。あの2千年前に、十字架上で殺されても人を愛しぬいたイエスキリストの命、その愛が全世界に広がったように。
●イエス様はおっしゃいました「私があなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行ってみを結びその実が残るようにと」。愛の冷えた世の中に、愛の実を実らせるために、ここ、教会に集うあなたを私は選んだんだとイエス様はおっしゃいます。ここ教会でイエスキリストの愛を確かに受けたなら、私たちがそれぞれに、愛の種を蒔くために使わされるのです。それは、決して大きな愛の業でなくても良いのだと思います。
●わたしはメキシコの小さな村で朝散歩していました。皆顔見知りのような町です。私一人、見慣れない顔なので、皆がじろじろと、怪訝そうな顔で見てこられました。
元気よくこちらから「ブエナスディアス!」と挨拶すると、向こうも笑顔になり、挨拶をしてくださり、朝の市場のスープや食べ物を食べなさいと差し出してくださいました。小さな挨拶からも、愛と感謝の交わりが始まるのだと感じました。私たち、それぞれに出来る愛の業にはげんでまいりましょう。そして今の社会に互いに愛し合い、感謝し会う関係を取り戻したいと思います。