2015年10月18日 「先頭にたって進まれる主」

10月11日 主日礼拝説教要旨
「救いはどこに?」山本一牧師
マルコによる福音書10章17−27節

●私たちは自然の四季を経験しますが、人の人生や社会においても四季があるように思います。今の私たちの社会ははたしてどの季節なのでしょうか?日米共に決して明るい季節ではないように思います。
「アメリカンウィンター」というドキュメンタリー映画(2013年)は今、最もリッチな国アメリカの国民6人に一人が貧困層で、内1610万人が子供だという事実を示し、アメリカは今冬の時代を迎えているという事を告げています。


「自分がまさか福祉サービスの世話になると思っていなかった」その声が全米に広がっています。私たちはどうやってこの冬の時代を生き延びていくのでしょうか?
●聖書のイエスさまにとっても人生の「冬」といえるような辛い出来事がありました。それが十字架の死で終わる受難の出来事です。今日の福音書はその不穏な空気を感じさせるイエス様の受難の予告の場面です。
しかしイエス様はその中を「先頭に立って進んでいかれた」というのです。今からご自身に苦しい受難(冬の時)が待っているにも関わらず、逃げ腰にならず、積極的に先頭に立っていかれたのは何故でしょうか?私は二つの事を思うのです。
●今日の受難の予告の最後にこうあります。「異邦人は人の子を侮辱し、つばをかけ・・・殺す。そして三日の後に復活する」。イエス様は最後に「復活する」と言われました。神を信じて歩むものには、苦しみは苦しみのまま終わらない、必ず良いものを神が与えてくださるだろう、という父なる神に対するイエスさまの信仰がここにあるのです。言ってみれば、イエスさまは冬の先に神様が用意される春がある、復活の出来事がある。それを見ておられたのです。
●イエス様が暗闇へと立ち向かっていかれたその力のもう一つの理由は「愛」です。
 45節には「わたしは多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た」とあります。つまり、自分が十字架にかかるのは、全ての人の罪を贖い生かすためだというのです。その全ての人間への「愛」の故に困難に立ち向かっていかれたのです。
●先に紹介したドキュメンタリー映画を見ながら、このようなイエス様の姿を私は子どもたちの中に見出しました。
夫をなくしガレージに住む親子、その母親が取り乱し泣き出した時に、まだ小学生の子どもが「ママ、たいしたこと無いよ。世の終わりじゃあるまいしNot the end of the world.」と励ます姿。暗闇に下をむく母を抱きしめ、笑顔で「ママは私にとってスーパーウーマンだ」と言う男の子。失業した父に「あなたは最高の父だ」という娘。ある男性は貧困の生活の中でもいつも笑顔で笑っているダウン症の息子に励ましを受けていました。そしてある12歳の女の子は、いつか良い仕事について両親を助けたいと力強く語り、自分よりママが心配と言い、昼を抜く母親に「昼食を食べるのを忘れないで!」と、家に張り紙をはって学校に出かけていくのです。そして彼女は笑顔で言いいました。「ママが大好きだから」。
私はこの映画の子供たちの眼差しを見て私は衝撃を受けました。その眼差しは親以上にいつか来る春への希望をもっている、また親への愛をもって苦難を受け止めていこうとしている。そんな風に見えたのです。
●冬のような厳しい環境にあって往々にして、親のほうがプレッシャーや無力感に押しつぶされそうになります。私たち大人は現実を知りすぎ、愛に絶望しやすいのです。だからこそ「信仰」を持ちたいのです。今日の聖書の先頭にたって歩まれたイエスさまの姿を思い起こしたいのです。
神様は今苦しむ私に必ず「春」をくださる!と信じ、愛する者を守るために立ち上がり歩んでいきたいのです。