2014年 11月30日 「信じられない者にも」

12月7日 主日礼拝説教要旨
「信じられない者にも」山本一牧師
ルカによる福音書1章5~25節

●子どもにとってのクリスマスの楽しみはサンタクロースですが一般的に「よい子にはサンタがプレゼントを持ってくる」というのが定説なようですが、ともすればクリスマスの本当の主人公であるイエスキリスト、またその救いという事も同じように捉えられてしまう事があります。「良い人間、信じる人間には神の恵みが望み、信じない者にはバチがくだる」。本当にそうなのでしょうか。

●ルカは福音書に洗礼者ヨハネとイエス、二つの誕生物語を記しています。今日箇所はキリストの誕生に先立つヨハネの誕生の物語です。この箇所の中心的な人物はザカリアという人物です。彼は神殿に仕える祭司で、エリザベトという女性と結婚していました。彼らは「神の前に正しい人で…非の打ち所が無かった」といいます。ただ、このエリザベトには子どもがなく、既に高齢を迎えていました。このことで二人は少なからず心痛めていたことと想像できます。
さて、ある時ザカリアは当時2万人いたと言われる祭祀の中からくじで「主の聖所に入って香をたく」という光栄な役割を担うことになりました。そしてその聖所で突如天使が現れ彼に語りかけたのです。「あなたの妻、エリザベトは男の子を生む。その子をヨハネと名づけよ」。 それは彼らがずっと望んできたことでした。しかし、ザカリアは「私は老人ですし、妻も年を取っています。」(18節)と、その言葉に対して抵抗をしてしまうのです。「正しい人」ザカリアでも、いざ神の言葉が届けられると、それを信じられなかったのです。その結果、彼は口を利くことができなくされてしまうのです。
対照的なのは、イエスの母マリアです。彼女も同じように神の言葉が告げられるのです が、マリアは「お言葉通りになりますように」と、それを受け入れました。従順なマリアと、信じられなかったザカリアという風に比べられたりもいたします。これを見ると一見、信じたマリアには恵があたえられ、信じなかったザカリアには罰がくだったという風に見えるかもしれません、けれどもよく読んでみますと、そうではありません。

●最終的にこのザカリアが信じようと信じまいと妻エリザベトは子どもを宿し、偉大な洗礼者ヨハネという人物が誕生していったのだと聖書は告げているのです。そして後に「ザカリアの口は開き、下がほどけ、神を賛美しはじめた」のです。
神様の言葉を信じられなかったにも関わらず恵みが与えられる。それだけでなく、その口に歴史に残る素晴らしい賛美が与えられていったのです。このように見ると、一旦、ザカリアの口が閉ざされたのも罰ではなく「つべこべ言うな、ただ私の偉大なる業を見よ」という神からの徴という風にもとれます。
今日の箇所は私たちの信じる神様は、信じるものにしか恵みを与えない神様ではなく、むしろ信じない者に「偉大なる神のみ業を見せ」神を信じる者・讃美する者に変えられる神様なのだと証ししているのです。

●私たちはもまたザカリアのように神の言葉を疑ってしまう存在です。そしてあれこれつぶやきます。けれども、ザカリアの口に素晴らしい賛美を供えられた神様は、そんな信じきれない私たちをも、驚くべき神のみわざを示し、信じる者としてくださるのです。そして、この後に語られるイエス様こそが信じられない私達を信じる者とするために、神様が一方的に送ってくださった存在なのです。当時、イエス様の不思議な業を通して皆が神を賛美したように、今も、イエス様は私たちを信じるものとするために、目に見えない形で私たちに働きかけておられるのです。