2014年 12月24日「喜びの到来」  キース イノウエ牧師

レクショナリー B: クリスマスイブ

説教: "神の光の到来"

ルカによる福音書 2120

(日本語の翻訳です)

最近、あるケーブル・ネットワークで流行っていたホリデー・テレビ番組のコマーシャルを見ました。それは、このクリスマスの時期、屋外のライトニングの飾りを極端に(本当に過度に、です)する人々についてのものでした。思い出すと、そのコマーシャルのなかで、極端な外観デコレーションをした家の持ち主のうちのひとりが、彼の自信作についてこう言っていたのです。「もし、これが宇宙から見えなかったら、やる意味がないさ!」
そのコマーシャルを見て私は笑ってしまい、そのショーの家主達ほど過度に飾り付けをしていたわけではなかったけれども、クロビスの年配の男性を思い出しました。彼のクリスマス・ライトの装飾は、濃い霧を突き抜けるのに十分で、私が家に無事にたどり着くための重要な目印を示してくれたのです。
私たちは今夜ここに、キリストの誕生とそれが意味する全てのことをお祝いするために集まりました。今までの霧や光についての話は、私たちを、この最も聖なる夜に、私が取り上げたいことへと繋ぎます。
人生は祝福に満ちたものであるとはわかっていても、人生の中で私たちに起こる多くのことが私たちを打ちのめし、傷つけ、混乱させ、そして崩れおとします。この人生で私たちに起こることのうち幾つかは、自分たちの間違った選択によって引き起こされたものかもしれません。しかし、それ以上に本当に沢山の私たちの行いのせいではないこと、例えば愛する人を亡くすこと、病いや失業、自然災害での大きな損失、破壊的な国家あるいは国際経済、戦争、社会的不平等に権利の侵害や抑圧などがあります。
そうです、人生には本当にたくさんのことがあって、私たちは、私たちを拘束したり、衰弱させたり、混乱・当惑させることに遭遇します。それは辛いことです。それは、そのなかで身動きとれなくなり、先にある人生の道や私たちが今まさに進んでいる生きる歩みさえ見ることを難しくするような濃い霧のようなものです。 両者は、そんなに異なるものではありません。セントラル・カリフォルニアの霧の中を運転するという話は、私たちがしばしば自分たちが人生で置かれている状態の適切な例えになりうるでしょう。
私たちが実に有能な人間かもしれず、自分の力で人生を切り抜けていくことができると思っている事実に反して、その問題のシンプルな真実とは、こうです。私たちは自分で自分の道を探すのに本当に困っているのです。結局、私たちは助けが必要なのです! 遅かれ早かれ、私たちはそれに気がつくようになると思います。私たちが友人や見知らぬ人に助けの手を差し伸べることを話しているにしても、神のとりなしの力や恵みについて語るにしてもです!それらは、すべて相互に連結し合っていると、私は確信しています。

先週ある人が私にYouTubeのリンクを送ってくれました。それはとても面白いものなのですが、同時に今日のメッセージの良い説明になるかと思います。特に今日この礼拝に出席している子どもたちには特に面白いと思います。
これはどうしてかひっくりかえってしまった亀についてのYouTubeからの一部です。亀にとっては大変な状態ですよね。 なぜなら亀はこんな状態から抜け出るのはとっても大変ですから。
それではこれから何が起きたか見てみましょう。

SHOW VIDEO CLIP

私にとってこの動画の中で驚きなのは 一匹の亀がひっくり返ると他の亀にもこれが一大事であることが解り、それにその他の亀も反応することです。ひっくり返った亀を元に戻そうと助ける亀の感性、強い意志や知恵には本当にびっくりします。
では このおかしな動画が一体クリスマスとどう関係するのでしょうか? こういう事です。神さまがこのような憐みと愛を人々に持っていて下さるという事を私たちも信じているという事。そして、私たちは良いものとして創られているにも関わらず 生きていく中でつまずき、元の全き姿にもどる必要がある事を認めているという事です。それはすなわち「救い」と呼ばれている事柄です。
どんなに私たちが努力しても自身の力のみでは回復が出来ません。ちょうど亀がひっくり返ってもがいているように…。私たちは大いなる神からの手助け、困難の中にある事を知ってくださっている神さまの御手が必要なのです。神は私たちに手を伸ばして下さり、助けようとしてくださるのです。

神がこのような「救い」を与えてくださるという事は、私たちキリスト者の信仰と確信なのです。神は神ご自身を、私たちと同じ人間の姿として、聖なる賜物として、私たちを救い導くために与えて下さったのです。
神からのこの賜物こそが私たちがイエス・キリストとして信じている方なのです。
イエスという名はヘブライ語のイェシュアという名のギリシャ名です。この名の元は「救い」や「与える」という意味の語に由来いたします。 イェシュアという語そのものは 語義としては「助ける者」 又は「救済する人」、あるいは「与える者」というような意味をもちます。
神は私たちが自分自身で出来ないことをするために力を貸してくださいます。賢く思いやりのある亀が友の亀がひっくり返って困っているのを元に戻すことを私たちが見るように、神はイエスを通して私たちを元のように足でしっかりと立つ者に、全き者とするために、イエスを私たちのもとへ賜物としてお送りくださったのです!

そして私たちは光を認める事、祝うことを通してイエスの誕生をお祝いするのです。なぜなら、キャンドルの光の中に、木や家に灯される光の中に、神を光として語る中に、イエスを世の光として認める中に、私たちはややもすると濃い霧がかかったような、複雑な人生の歩みの中で、神がわたくし達と共にいて下さるという事を今一度確信するからです! そしてこの、私たちの行く手を照らす光を与えるという事こそが神の望まれたことなのです。
霧の中で往く道を照らすクリスマスの灯りのように、私たちの行く手を示す道しるべとして神は私たちの人生を導く光を与えてくださり、創造主なる神の大いなる愛と平安のみ許へと歩んでいる事がよく分かるように導いてくださるのです。
私たちは救い主であるイエスがつつましい一人の赤ん坊としてこの世に生まれて下さったことを信じ、また人として困難な道を歩まれたという事がどの様な意味を持つかという事を理解いたします。なぜなら神が人の形をとってこの世に現れてくださったということのその真髄はイエスが私たち全てを救い、新しい命を与ええ、私たちの行く手を示す光となられたという事だからです!!
最後にお話したい事は、「光」は「全ての人のための光」だということです。ルカによる福音書2章の30節~32節には私達に送られた神の光について語っています。
私は「わたしはこの目であなたの救いを見た。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」とあるこの一文がとても好きです。
異邦人を照らす光、そしてイスラエルの栄光」という言葉は光は全ての人への光だという事を意味しています。栄光は一部の人だけではないのです、全ての人に与えられるのです。

最近、私たちは神にとって誰が大切なのかという事について、この国で沢山の声明を見、また聞いていました。これらの言葉は、実際に偏見、差別と恐怖を経験した人たちがある事を知り、それを認めるべきである事を意味しています。私たちはいまだ私たちの国、世界に多くの不平等の傷跡がある事をあらわにしています。
気持ちや感情というものは、おそらく私たちの心に強く訴えかけます。しかし、これらはまた、ある人々に報復と復讐における暴力と破壊をとめどなく引き起こさせています。私たちが破壊的行動は正当だとを考えるときほど悪い事はありません。事の真実は私達の信じる神にあります。全ての命が大切なのです。黒人の命が大切であり、。警察の命も大切です。老いも若きも大切なのです。富む者も貧しい者も。ゲイの人もそうでない人も、クリスチャンとユダヤ人、イスラム教徒、ヒンズー教徒と仏教徒。すべては神にとって大切であり、それゆえ私達にとっても大切であるべきなのです。
今日、世界を分裂するように沢山の線がひかれ、相手を正当な理由なく、けなすのを見るとき、私たちはキリストが “ 全ての人のための愛の光 “ として来られたことを聞く必要があります。
 全ての人の助け手! 神の光を互いに分け合うこと;私たちの信じる光は、本当に素晴らしく救い主キリストのうちに存在しています。これこそ、私たちが他の人たちとシェアするように願われている光なのです。
私たちに分け与えられ、また他の人々に分け与えるように求められているこの光の性質は一体どのようなものなのでしょうか? 私たちはほとんど毎回のアドベント・シーズン(降誕節)で、それを例として掲げています。それらは、希望、平和、愛、そして喜びの光です。
マタイによる福音書に書いてあるように、イエス様が「あなたがたは世の光です。」と宣言されたことは何と重要なことかと思います。実に、イエス様は世の光でした!しかし、イエス様が私たちに希望、平和、愛、そして喜びの光をこの世界と全ての人々に届ける運び手になるように求めておられることを決して忘れてはならないのです。
今夜、中央に位置するキリストのキャンドルから取った光が、あなた方一人ひとりに渡されます。そして、ひとり子としてこの世に来られたイエス・キリストにある神は、私たちに同様に人々を導き祝福する光となるように招いておられます。
そう、この夜、私たちは今ここにいて、闇から引き出され、神の天の光の到来を祝うために招かれました!天を見上げた羊飼いや天文学の学者たちのように、私たちも今宵、空を見上げ、神が、私たちのインマヌエルの神としてお生まれになった救い主キリストにあって、私たちと共におられることを知りましょう。
 この世に来られた神の光が、今日この夜、あなたにとっての救いの恵みとなり、あなたの人生の旅の間ずっと守り導く光となられますように。
メリークリスマス! アーメン