2014年 11月16日「愛と赦しを信じて」

1116日 主日礼拝説教要旨

  「愛と赦しを信じて」山本一牧師

マタイによる福音書25章14~30節

●「最高の人生の見つけ方」という映画があります。医者から余命6ヶ月であることを宣告された2人の初老男性、金持ちで遊び人のジャック・ニコルソン演じるエドワードと生真面目で働き者のモーガン・フリーマン演じるカーター。この二人が出会い、そこから互いに自分に欠けていた生き方がある事を知り、それを残りの人生で経験していく、という映画です。この映画は「他者のため」と「自分ため」、とかく、どちらかの生き方に偏りがちな私たち人間に「本当に豊かな人生」を過ごすためにはその両方が大切なのだと教えているように思いました。

わたしが来たのは羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10:10

この言葉は、キリスト教信仰とは決して人の人生を萎縮させていくものなのではなく、全ての人の人生を豊かにするものなのだと教えています。時に私たちは生真面目で律法主義的。「ねばならない」という思いに縛られすぎて人生を萎縮させてしまうような歩みになりがちです。しかし、イエス様を信じる信仰は人を様々な畏れから解き放ち、積極的、肯定的に人生を捉えさせてくれる。この事を今日のイエス様の譬え話「タラントンのたとえ」も私達に教えてくれています。

●旅に出る主人からそぞれぞれ五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けられた僕たち。彼らが主人のいない間にそれをどうしたかというお話です。「タラントン」というのは当時のお金の単位です。1タラントンでも1億円近いお金(20年分の賃金)にあたります。またこの言葉は「タレント」(才能や賜物)の元となった言葉です。つまり私たち一人一人に申し分ない可能性を秘めた命・人生が神さまから賜物として与えられているという意味に受け止められます。

さて、5タラントン、そして2タラントン預かった僕は出かけて行き、そのタラントンを活かしました。そして主人が帰ってきた時にお褒めの言葉をもらいました。ただ様子が違っていたのが1タラントンの僕でした。「御主人様、あなたは・・・厳しい方だと知っていましたので恐ろしくなり・・・地の中に隠しておきました」(25)
 この僕はなぜ預かったものを埋めておいたのかとういと「恐ろしかった」からだと言っています。この僕は必ずしも悪人ではなく、とても真面目な人に思われます。けれども彼は主人の本当の思いを理解していなかったようです。この僕の姿は、当時の律法学者やファリサイ派という宗教家達の生き様を思い起こさせます。彼らは確かに神様の戒めを良く守りましたが、それは神様に叱られないように、罪を犯さないように、という消極的な動機からでした。

●人間はいくら真面目に頑張っても失敗しないで生きる事はできません。何一つ落ち度のない生き方などあり得ないと聖書は一貫して語っています。今日の箇所は、私たちの信じる神様の御心は、私たちが万が一にも罪を犯さないような生き方をする事にあるのではなく、むしろ、至らない者である事を認め「神様の愛と赦し」の中で感謝と喜びをもって、与えられた分に応じて、それを用いて生きる事にあるのだと教えているのです。私たちには、イエス様が与えられています。必ず失敗する私たちに「赦しと愛」という恵が注がれているのです。その「赦しと愛」を信じて、感謝と喜びと自由さをもって共に、主にある「本当に豊かな人生」を祈り求めていきましょう。