2014年 10月12日 「神となり、民となる」

10月12日 主日礼拝説教要旨

「神となり、民となる」山本一牧師

ヨハネによる福音書10章7節〜15節

●聖書に「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」という言葉があります。「神さまは神さまだ」という考えがある一方、神さまは神さまに「なろうとされる」方なのだと聖書は告げているのです。

 この「なる」という言葉にはとても大きな意味があります。結婚すると夫婦となり、子どもができると親になるわけです。けれどもその夫婦、親というのは「それである」のと同時に「なる」なり続けていくという側面があるのです。

 私もここで牧師をして1年となりますが、毎週のメッセージ、訪問や祈りの中で、喜びや悲しみを共有し、一日、一日積み重ねて皆さんの牧師になる歩みを続けているように思います。

●先日、是枝ひろかず監督の映画「そして、父になる」を見ました。出生時に子どもを取り違えられた二つの家族の話です。子どもと過ごす時間の無い父(福山雅治演じる良太)は、いきなり父親だと言われても、納得がいかない実の子どもと過ごすうちに、父親に「なる」とは子どもの声に耳を傾け、共に笑い、泣き、喜びや悲しみを享有することから始まるのだと気付かされていく、そのような映画でした。

●聖書の神は「あなたの神だ」というだけでなく、神としての証しとなる愛と恵みを日々注いでいてくださる存在だと思うのです。そしてそれは、あの神の子、イエスキリストという存在を思う時に、さらに、深くそう思うのです。イエスは、私たち人間に寄り添い、その苦しみや喜びを分かち合ってくださった。いや今も目には見えないけれども、神の子イエス・キリストはそのようにして、私たちの神となろうとしてくださっているのです。

●今日の福音書はイエスが「私は良い羊飼い」だと言われたと記された箇所です。この「良い」という言葉は道徳的・倫理的に優れているという「アガソス」ではなく「美しい」と  か「魅力的である」という意味の「カロス」が使われています。これは、別の聖書の箇所では、高価なナルドの香油をイエスに注いだ時に、「良い事をしてくれた」と言ったその時にも使われた言葉で、聖書では相手への「真実な愛と献身にもとづく行為」に使われています。つまり、この「わたしは良い羊飼い」というイエスの宣言は、心からの愛と献身をもって人間と関係を結ぶ、そのような存在であると伝えているのです。それが12節以下で語られます.

「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人はオオカミが来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。彼は雇い人で、羊のことを心に欠けていないからである。私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは父が私を知っておられわたしが父をしっているのと同じである」

●聖書の当時の律法学者やファリサイ派という倫理的宗教的指導者のみならず、全ての国の指導者、牧師や教会すら一見立派に見えたり、綺麗な事を言うけれど、民衆の事、会衆の事を考えられていないという現実があります。

けれども聖書はそのような社会の現実の中で、ただ一人、イエスキリストだけは「良い羊飼」だと宣言します。イエス様だけはあなたを見捨てず、今でも「あなたの主となるため」に共に喜び共に泣き、また私たちの犯す全ての罪のために十字架にかかって購って下さっているのです。

 聖書はこのイエス・キリストというお方によって 神様が本当に私の神となり、私たち人間が神の民となるんだと告げているのです。

●映画「そして父になる」では人工の林は15年かかってようやく本当の意味の林になるという言葉がありました。神様と人間の関係もまた同じなのです。本当の意味で「私の神、私の民」となるには長い、年月がかかるのかもしれません。私たち、この世においては、共に聖書を読み、祈りながら、感謝も、涙の祈りをもささげながら、本当の意味で神の民と「なる」歩みを続けていきたい。そう願います。