2014年 9月7日 「主の愛に身を委ねる」

 9月7日 聖日礼拝説教要旨

マルコによる福音書1228節〜34

「主の愛に身を委ねる」山本一牧師

 

キリスト教の救いとは「小さく汚いハエが日本からアメリカに渡るようなものだ」と言います。自力では海を渡れないハエも飛行機に乗ればアメリカに行くことができます。聖書が語っている本当の幸せ、救いというのは人間の努力では手に入れることはできない。ただ自分が小さく無力なハエのような存在であると気づき、自らもがくことを辞め、主にすがる時に、それに預かるのです。今日の聖書もそれを伝えます。

ある時、一人の律法学者がイエス様に問いかけました。「あらゆる掟(神の律法)のうちでどれが第一でしょうか」(28)。律法学者とは旧約聖書にある神様の教えや戒めである「律法」の専門家でした。聖書にあるだけでも613あるとも言われるその中でどれが第一か、この問題はユダヤ人にとって最も難しい問題でした。

 それに対してイエス様は「あなたの神である主を愛しなさい。」と「あなたの隣人を愛しなさい」(31)という戒めを教えられました。どちらも良く知られていた戒めでしたが、イエス様はこの二つを結びつけて「第一だ」と言われた。ここにイエス様の戒めの新しさと厳しさがあります。私たちにとって「神を愛し、人を愛する」どちらか一方だけなら比較的簡単に行う事ができるかもしれません。しかし人を愛し、神をも愛するからこそ、自分の理想や信念に合わないと思う人とも向き合わなければなりませんし、また時に相手に嫌われる事を覚悟で正しいと思うことを言わねばならない。そのような自制や苦悩が必要になってくるのです。

さて、今日注目したいのは、その後の律法学者とイエス様のやりとりです。主イエスに質問をした律法学者は「神を愛し、隣人を愛する」という、この究極の掟に対して「その通りです」と言い受け入れました。しかし、そこでイエス様は「あなたは神の国に入れる」とは言われず、「神の国から遠くない」と言われたのです。いったい何が足りなかったのでしょうか。

「神を愛しなさい、自分の要に隣人を愛しなさい」この二つの教えを本当に自分の身に引き寄せて考えてみればみるほど、「どうしても愛せない人がいる」という思いや、「神さまよりもこの世の事を優先してしまう」という思いが浮かんできます。そして自分の愛の無さに苦しみやうめきを覚えます。