2014年 9月14日 「数えよ、主の恵み」

9月14日聖日礼拝説教要旨

マタイによる福音書182135

「数えよ主の恵み」山本一牧師

●隣の芝生は青く見える ということわざがあります。英語で「The grass is always greener on the other side of the fence」です。いつの時代もどの国でも他人の持っている物や言動が気になるようです。決してそれは幸せには繋がらないと分かっていながらも、隣の芝生の青さ(良い点)やまたその欠点に目を注ぎます。そんな私たちに聖書は、私たちが本当に幸せになるために何を見るべきかを教えてくれます。

●今日の箇所はイエス・キリストが「人を赦す」ということについて弟子達に語られたという場面です。弟子の一人ペトロがイエスに尋ねます「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」(21) 。「3度までは赦しがあるが4度目は赦されない」というユダヤ教のラビの言葉があるように当時はおおむね3度までだと教えられていたようです。しかし、ペトロはイエス様の寛容な教えはそれを上回るだろうと思ったのか、それを少し増やして思い切って「7回までですか」と尋ねます。

 それに対してイエスさまは「7回どころか770倍するまで」(22)とお答えになりました。もちろん、この数字は文字通りに490回ではなく、聖書において完全数を現す7のさらに70倍、つまり「数えられない程」ということを表します。イエス様は「罪を数える事をやめ、どこまでもゆるしてあげなさい」と教えられたのです。そもそも、ペトロは「何回赦せばいいですか」と問うていますが、その他人の罪を数えるという生き方自体を主イエスが鋭く、問われたのだといえるでしょう。実に人の罪を数え上げている間中、そこには本当の赦しというものは一度もないからです。

●そして興味深いのは、「天の国はつぎのように例えられる」と神の国、つまり「永遠の幸せ」について語られているのです。この後半のたと  え話は、主君である王様に借金を帳消しにしてもらったある家来が、自分の仲間の借金は赦さず、主君に「不届きな家来だ。お前が頼んだから借金を帳消しにしてやったのだ。お前も自分の仲間を哀れんでやるべきではなかったのか」と言われ牢獄に入れられてしまうという話です。

 このたとえ話を通してイエスさまが語られたのは「どこまでも他人の罪を数えあげ、赦そうとしない生き方には救いは無く、一方、自分がどれだけ神によって赦されているかという事を覚え、数え、この世で自分もまた、赦して生きるところに、本当に自由な救われた者の生き方があるんだ」ということ教えているのです。

●そしてこの譬えの最も大切な点は、ほかならぬ神ご自身が、主イエスキリストのゆえに、私たち人間の罪を数えない、いや、むしろ数えた分だけ許しを与えておられるというメッセージなのです。常に私たちはこの神の恵みに目を向けて生きたいのです。そこに神の国の生き方(永遠の幸せ)が隠されているからです。

 私たちは他人を見ながら自分の駄目な部分や人生のマイナス点、失った物ばかりを数えがちです。ある人は「罪」とは、「不満足病だ」と言いました。罪は、飽き足りることを知らず、感謝することを知らない事だというのです。私たちこの病がから癒されるためにも、主の恵みを数えたいのです。 

●「望みも消えゆくまでに、世の嵐に悩むとき数えてみよ、主の恵み、なが心は安きを得ん。数えよ主の恵み、数えよ主の恵み、数えよひとつづつ数えてみよ、主の恵み」

砂山(いさやま)節子という方は戦中戦後満州で宣教し、夫と二人の息子を失い、目が見えなくなるというその過酷な人生のただ中で、この歌を思い起こし、神の恵みを一つづつ数え、心の平安を得たといいます。「熱河宣教の記録」より。

 砂山さんはどのような状況でも、私たちは神の恵みを数える事ができると教えています。私たちもまた、人の罪ではなく、主の恵みを数えてご一緒に歩んでまいりましょう。