共観福音書の著者たち

共観福音書の著者たち
        新約聖書には4つの福音書がありますが、そこで取り上げられている記述は、複数の福音書に記されていたり、一つの福音書にしか書かれていないこともあります。つまり4つの福音書には、その視点と対象に夫々の特徴があることになります。中でもマタイ、マルコ、ルカは主イエスの足跡を時系列で辿っていることから共観福音書と呼ばれているのですが、ここではその内容ではなく、著者たちについて考えてみたいと思います。
まずマタイですが、勿論主イエスの十二弟子の一人です。実は彼は当時のユダヤ人社会では不正に税を取り立てるとして忌み嫌われていた取税人でした。また他の福音書では「レビ」と呼ばれている事から,祭司の部族の出身であるとも、またそういう名前であったとも言われています。
        この取税人は、当時のユダヤを支配していたローマ帝国によって任命された職業だったので、マタイは教育を受けた人でもありました。マタイ伝の原典はヘブル語で書かれ、後にギリシャ語に訳されたと言われていますが、確かにマタイ伝にはヘブル語で書かれた旧約聖書からの引用が多くあり、様々な預言が主イエスによって成就した、というメッセージを伝えています。つまりこの福音書はユダヤの人々に対して書かれ、例えば当時異邦人と呼ばれた外国人を主な対象としたルカによる福音書とは意図が多少異なることになります。
        次にマルコ伝の著者ですが、彼は使徒言行録で活躍するパウロやペテロの同行者、「マルコと呼ばれるヨハネ(John Mark)」であると言われてきました。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵でも有名な「最後の晩餐」はこのマルコの母マリアの家であったとも言われています。
        マルコはパウロやバルナバ、また使徒ペテロと共にした伝道旅行の中で、主にペテロから聞いたことを福音書に纏めた、とされています。その後、マルコはアレキサンドリアで司教として信徒の世話に奔走したことから、正教会では聖人の一人に数えられ、聖マルコ、即ちサンマルコ大聖堂はあまりにも有名です。
        さてこうなると、やっぱりマルコがマルコ伝の著者である、という事になりそうですが、実は今では「著者不詳」とされています。かつてマルコ伝はマタイ伝の要約本のような扱いだったのですが、19世紀に次々と発表された論文と検証によって、マルコ伝が実は最古の福音書であることが明らかになりました。今では、3つの共観福音書の共通部分の分析から、マタイとルカはマルコ伝を原本にして夫々の福音書を著した、とされています。
        最後にルカですが、上記使徒言行録の中心人物の一人であるパウロが、その書簡の中でルカを「愛する医者」、また「私の同労者」と呼んでいることから、彼は医師あり伝道者であったようです。またルカ伝と使徒言行録は共に「テオフィロ」という人物に宛てて書かれていることから、著者は同一人物と思われています。
ルカ伝に見えるギリシャ語の豊富な語彙や洗練された文章から、彼はシリアのアンテオケの裕福なギリシャ人の家庭に生まれた、という説が有力ですが、一方、旧約聖書についての深い知識も示している事から、非常に高度な教育を受けたユダヤ人だった、という意見もあるようです。また彼は芸術家、ことに画家としての才能に恵まれていた、とも言われています。
        こうした事から、ルカの意図はユダヤの社会だけではなく、小アジアからギリシャ更にはローマまで、パウロと共に主イエスの福音を広めることであった、と言えるでしょう。この働きが、本来民族宗教のユダヤ教が世界宗教としてのキリスト教へと発展していく礎となった事は言うまでもありません。今度福音書を読む時に、著者の意図を考えてみると、より深い意味が見えて来るかもしれませんね。
        (塚本 旨)